11月17日(月)

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 ピアノのG4キーを弾くとピアノ内部の何かと共振した。それで2週間ほどまえに一度、基本ピッチを微妙に下げて調律しなおしたのだが、再び共振しはじめたので、土日にかけえて再調律。平均律の割り付けもユニゾン合わせもスイスイと進んで、こういう時は仕上がりもいい。共振音もなくなったし、とてもいい音色になった。
 調律の才能があるとは思わないが、調律を始めたのは“できる”という気持ちがあっただけで、それは具体的な根拠のない自信だった。思い返せば、作曲を始めたのも同じ理由だった。できそうな気がしただけだ。人が何かをしようと思った時、後押しするのは、この「根拠のない自信」なのだと思う。ひょっとしたら、才能というのは“根拠のない自信”を指すのかも知れない。
 私が作曲を始めた中学1年生の頃、絶対音感どころか相対音感すらなく、楽譜は書けず、曲も知らない。周囲には強烈なソルフェージュ能力を持っていたり、やたら難しい曲が弾ける人たちがいて、その凄さに圧倒されていたものの、根拠のない自信は揺るがなかった。誰に褒められることも認められることもなく、ただ一人五線紙と格闘していた。
 “できる”と感じたらやるべきだ。始めてみると、できると思ったのは単なる勘違いだったと気づくのだが(困難を知らないからできると思うのだろう)、そんなことにめげてはいられない。最初に得た“できる感”だけが頼りでやってきた。
 いまでも自分の音楽的な才能には疑問符が付くのだが、将来は絶対に今とは違うという、やはり“根拠のない自信”によって支えられている。