11月18日(火)

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 山口仲美著「新・にほんご紀行」(2008年)、同「若者言葉に耳をすませば」(2007年)の2冊を読書中。
 「日本語が乱れている」と主張する人に詳しく話を聞いたことがないが、もし、本当に日本語が乱れているとしたら、それは言語の論理が破綻してきたことを指すと考えるべきだろう。ところが、若者言葉が論理破綻しているわけではない。新たな概念を表現しなければならないときに言葉は変化する。その“新たな概念”を獲得、あるいは理解できない人が「乱れている」と感じるのではないか。
 確かに、極めてローカルな範囲でしか通じないスラングのようなものは理解できなくとも当然だろう。しかし、それが広く浸透したとしたら、それは日本語が新しい概念を獲得したと考えるべきだ。
 むしろ乱れているのは「いわゆる“現代音楽”」だと思うが、すでに人々の関心が薄れてきており、いくら乱れても影響が少なくなっているように思われる。  ベートーヴェンがコンテンポラリーであった時代を想像すると、音楽家たちは社会に対して今よりも影響力を持っていたに違いない。