11月20日(木)ランボー「酔いどれ船」

8724

 アルチュール・ランボー 作、ブルース・ゴフ 絵、杉元秀太郎 訳による絵本化された「酔いどれ船」(京都書院、3800円)を図書館から借りて読んだ。
 よく分からないので何度も読み返した。あまりに難解なのでネットで他の訳を探した。全訳は見つからなかったものの、部分訳はすぐに出てきた。ネット上の訳のほうが分かりやすく、多少意味が通ったが、難解であることには変わりない。こんなに有名な詩人が書いた有名な詩なのだから、おそらく理解すれば素晴らしいものなのだろう。そう思うと悔しい。フランス語を勉強して原語で読むのがよいのか、それとも小林秀雄らの文語訳が素晴らしくて知られるようになったのだろうか。
 過去において、もっとも強烈だった読書体験はアーサー・C・クラークの「幼年期の終わり」(創元社版は「地球幼年期の終わり」)だった。読み終わってから自分自身がステップアップしたのではないかと思うほど、よく分かり、また共感した。難解な部分を含んでいたにも関わらずだ。逆に、加藤郁乎の前衛詩「ニルヴァギナ」は全然分からないのによく分かった。もう30年も前のことなのに「とりあえずさよならのネバモアを漏らすと・・・」というような冒頭の一節が思い出されたりもする。
 ところが、今回の「酔いどれ船」には降参だ。少しエネルギーがたまったら別訳で読み返すことにして裏表紙を閉じる。