12月10日(水)

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 カミさんが外に仕事に出ているので、私が必然的にいろいろな家事をやることになる。日頃から運動不足なので家事はフィットネスの代わりにもなっている。
 それにしても思うことは、人が毎日やることは高学歴などいらないことばかりだというだ。しかし全く別の能力が必要である。私の両親は高齢ではあるが幸い2人とも元気なので、介護の必要もなく、二世帯住宅の階下で自立した生活を送っている。しかし、ひとたび寝たきりになった時、平然とおしめの交換をできるか、というような能力である。家事は、その第一歩であると考えている。
 キャビン・アテンダントはカッコいい職業と思われているが、必要とされる能力は学歴よりも、酔った客の吐瀉物を掃除するような“汚れ仕事”ができるかどうかだろう。
 日本中の多くの人がそういう能力よりも勉強優先論者のように見えて仕方がない。人が幸せに、つまり普通に暮らすのに必要な能力は、黙々とジャガイモの皮を剥いたり、住環境を整理整頓したり、自分を生かすために食べ物になってくれた命たちに感謝する能力なのではないだろうか。
 私は高学歴に異を唱えているのではない。勉学に励もうという志のない者は教養が身につかず、教養がなければ人生に対する見識を持つことができない。だから、学ぶことは必須である。しかし学校教育が用意してくれるのは、教養や見識のための勉強でもなければ介護への覚悟でもない(かも知れない)。
 作曲家もちょっとカッコいいと思われがちな職業だが、大ヒットは望めない(もちろん不徳のいたすところだが)クラシック系作曲家を続けるためには、低所得であろうがなんだろうが他人をうらやんだりする前に、まずきちんと生活しなければならない。そのためには、毎日毎日身の回りのこまごました家事をこなし、トイレ掃除でも生ゴミの処理でも何でもやる。私に強みがあるとすれば、そういう力が身についていることだ。幸いなことに、それは私だけではなく、我が家の子どもたちにも育っている。それだけで、安心できる部分があるのだが、皆さんはいかがお考えだろうか?