1月1日 2009年最初の講義

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 ここは日記を記すブログではあるけれども、正月休みにはレッスンがないので最初の講義。いつもはマンツーマンで一人の方のためだけにぴったりサイズのオーダーメイドレッスンだけれど、今日はフリーサイズですから皆さんのサイズに切り取ってお読みいただきたい。

 作曲工房におけるもっとも基本的な考え方は「事実の把握」である。それなくして「事実から学ぶ」ことはあり得ない。
 事実認識の難しさは、太陽が東から昇って西に沈むように見えるという事実から地球の自転と公転を導き出すことを考えれば分かるだろう。季節ごとに徐々に星空が移動すること、一恒星日がおよそ23時間56分であり、一太陽日がおよそ24時間であることを含めて矛盾なく説明するのは本当に難しい。「半月は太陽の方向を向いている」というアリスタルコスのように全く異なる着眼点からたどり付くこともできるが、どれにしてもインスピレーションが必要である。数日前に読了した「シャドウ・ダイバー」は、全編を通じて、まさにそのことを示していた。
 ゴタゴタと書いたが、主張はただひとつ。どんなに難しかろうとも、事実把握のできない人生は、まだあなた自身の本当の人生が始まっているとは言い難く、事実に到達できずに死ぬのは犬死にに等しいということだ。仮に誰かがあなたを心から愛していてくれたとしよう。ところが他の不誠実な誰かをなじることに生涯をついやしただけで、本当の愛に気づかずに死んだら、その一生は何だったのだろうか。
 簡単な言葉で言うと“勘違い人生”を送ってはならないということだ。なにも大それた目標を実現させることばかりが偉大なのではない。本当のことが分かれば、ノーベル賞を受賞するよりも実際には凄いことだ。DDTを発見したパウル・ヘルマン・ミュラーノーベル賞(1948)は贈られているが、その危険性を指摘し、人々に真実を理解させ、ついに法的な製造・使用禁止に追い込んだレイチェル・カーソン(1907-1964)には授与されていない。ノーベル賞選考委員会の能力が伺えるエピソードだが、これも事実誤認に端を発している。
 最近の例では、日本政府の原油価格認識が挙げられる。昨年、原油価格が暴騰したときの政府見解は、要約すると「中国やインドの経済発展による需要の増大と供給の逼迫による構造的変化であり、原油はもはや値下がりすることはなく、日本も原油高を前提とした産業構造に対応していかなければならない」というものだった。OPECの公式見解は「原油の供給量は充分であると考えており、増産の予定はない」というものだったにもかからわらずである。的確な理由を述べて原油バブルを指摘するエコノミスト森永卓郎氏)もいたが、私自身は、実を言うと、どちらが正しいのか分からなかった。というのも、その問題に全力で取り組む気概がなかったからであり、もし、取り組んでも付け焼き刃のような勉強では無理だったろうと思われる。
 私は“みの もんた”氏に敵意があるわけでも、彼を個人攻撃をしたいわけでもないが、代表者のひとりとして、また社会に影響を与えるひとりとして彼に矢面に立ってもらい、以下の動画を皆さんにご覧頂きたいと思う。彼の事実誤認の実態に気づいていただけることだろう。私自身、まだまだ勘違いのかたまりなので、さまざまな文章で彼と同じ轍を踏んでいるに違いないので人ごとではない。問題は、彼が自分の努力(および幸運によって)人生を順調に過ごしてきたために、社会構造が人々に及ぼす影響について気づいていない点にある。政治家も同様で、私たちは国会に普通の市民も送り込んで、国会が日本の縮図になるように心がけるべきだろう。みの氏が社会情勢を伝える番組をいくつも担当していても気づかないということは、報道番組そのものが事実把握に失敗している可能性もある。であるとするならば、メディアリテラシーは私たちの責務となってくる。

参考動画
http://jp.youtube.com/watch?v=NJr4mKoYv48