4月16日(木)

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 スーパーマーケットへ出かけて心配になることは値段の安さである。
 ちょっと考えると安いことはよいことのような気がする。しかし、価格には2つの意味がある。昨年の夏にピークを迎えた原油高は、輸入価格が上がり、それが小売り価格に反映された。ところが、実際には石油元売り各社も町のガソリンスタンドも値上げ分の一部を自らが利益の圧縮という形で引き受け、得していたわけではない。昨今のスーパーの値下げ合戦も利益の圧縮によっていると考えられる。なぜなら、大手流通各社が減収減益になっているからだ。商品の仕入れ先も厳しい値下げ要求を突きつけられていることだろう。つまり、これら業界の関係者は収入が下がることになる。販売者側も一歩外に出れば消費者であるわけで、ますます消費が冷え込むことになる。
 プロフェッショナルな職業というものは、正当な対価とともに存在しうるものであり、正当な対価を得ている人々によって営まれるのが正常な社会である。
 また、職業を持つ誰もが、働くことによってスキルが上がって、年齢とともに質の高い仕事をこなせるようになるようでなければならない。そうでなければ賃金の安い若者だけに雇用機会が訪れるという社会になってしまう。
 派遣社員だから、パートだから、正社員だからという労働形態の違いに関係なく、同一職種同一賃金、昇進差別なしという法的整備を勧めることが大切だろう。ただし、社会保障などで弱い立場にある派遣社員に関しては、正社員よりも「本人の手取り額」において何らかの補償が必要だろう。つまり、企業は「いつでも解雇できる」便利な派遣社員を雇う時には高額の対価が必要になるわけである。これなら自ら望んで派遣社員という生き方を選ぶ人が現れてもおかしくはない。しかし、現在はやむを得ず派遣社員として働いている人が圧倒的多数だろう。
 また、実力主義能力主義も勘違いされている。これは才能とか学力ではなくて、訓練を積んできたかどうかである。仮に日本の総理大臣や最高裁長官、日銀総裁らがスーパーマーケットでいきなりレジ打ちを担当した場合、どんなに高学歴であろうとも熟練のパート従業員には歯が立たないはずである(訓練を積めば、意外にもレジ打ち名人も見つかるかも知れない)。これで分かるように、対価とは基本的にスキルに対して支払われるものだ。我が家でも揚水ポンプや洗濯機が故障したときにサービスマンが駆けつけてたちまち直してくれたが、彼らに支払ったのは、もちろんそのスキルに対する対価である。
 先日報道された東京都水道局のワッペン2万枚作り直し3400万円問題などは、長年勤めていてもまるでスキルアップできなかった人々の存在を浮き彫りにした。作り直したことだけが問題視されているが、ほんの数センチの小さなワッペン1枚に1700円払うことに何の疑問も持たなかったのだろうか。これは正当な対価とは言えない額だろう。利権がらみで成り立つ金額であると思うがどうか(単なる推測なので判断はご自分で)。もし、ワッペンの再製作の合い見積もりをとって、正しい手順を踏んでいたとしたら利権の入り込む余地はないが、だからといって単なる内規に触れるという理由で作り直したことは正当化されるわけではない。(作業着ごと作り直したという説もあり、そうだとすれば価格は妥当だが、ますます利権がからんできた印象が強くなる)
 深読みすれば、このような仕事を請け負うのは中小企業だから仕事を回したということも考えられるが、それはそれで方法がまずい。
 少々横道にそれたけれども、消費者が安物買いばかりしなければならない社会では、良い物は作られず、そのような状況下では生産に携わる人々のスキルアップも難しくなることだろう。