4月23日(木)

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 和歌山毒物混入カレー事件の被告に対して死刑が確定した。「最高裁判決 平穏な日々、ようやく」という見出しで伝えるニュース記事もあったが、犯人探しが終われば事件が終わるわけではない。死刑に賛成・反対は別として、人類が生き続ける限り犯罪や事件は起こり続けるだろう。刑罰は犯罪抑止力を期待して設けられている部分もあるだろうが、全ての事件は、被害者・加害者・あるいは関係者であるか否かに関わらず全人類が受け止めなければならない。他者を嫉む、見下す、尊重しない、無関心などの心の隙が犯罪や過失の根底にあるのではないか。学校のみならず、職場でも起こっているいじめ、あるいは様々なハラスメントも根は犯罪と同じである。悪意、あるいは敵意はなぜ生まれるのか。それを全ての人々が考えていかないかぎり、犯人探しだけで平和な世の中が訪れるとは思えない(決して、犯人の究明を軽んじているわけではないので、念のため)。
 今日は、午後に少し時間があったので、父の依頼で図書館に行った。ついでに岩波講座の「哲学10 社会/公共性の哲学」と茂木健一郎さんの「芸術の神様が降りてくる瞬間」という対談集を借りてくる。「岩波哲学」は、冒頭の「社会は存在するか」という問いかけにノックアウトされて借りざるを得なくなった。なぜなら、図書館の書棚の前で、どうしてもその問いに答えられなかったからだ。「芸術の神様〜」は、本を借りておいて妙な話だが、本などに書いてあることが知りたいわけではないから借りた。誰でも「個人的な発見」や「本人だけが気づいている感覚」を持っているものだが、それを言葉にするのは極めて難しい。本書における茂木氏との対談者は、そろって自分の感覚を話せそうな人たちばかりだ。
 最近、この日記に読書について書かなかったが、大体2週間に5冊くらい借りて、そのうち2〜3冊を読んできた。秀逸だったのは我孫子誠也氏の「相対性理論の誕生」(講談社現代新書)である。相対論の解説書ではなく、その誕生に至るまでの発想の元となった考え方が示されている。アインシュタインは力学に対するスペシャリストであると同時にゼネラリストでもあったことがありありと窺えて興味深かった。本書において、もっともすごかったのはアインシュタインではなく、著者の我孫子誠也氏である。この人が書いた「音楽史」というものが存在するなら、それは私たちの既存の想像の枠を超えたものとなることだろう。