5月7日(木)

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 一日遅れで5月7日の日記。
 午前中から絵里子さんのレッスン。
 今回の新曲は、作曲技術的にはドビュッシー前奏曲集第2巻のレベル。演奏技術はラフマニノフプロコフィエフを足して2で割った印象。ポリフォニックな旋律線とリズムの織りなす絢爛豪華なタペストリーのような曲。すでに私の発想力を超えている。
 しかし、前もって楽譜データを送っていただいて分析済みであることと、先に生まれたために、少しだけ多くの経験を積んでいるというわずかなアドバンテージ(もう、冷や汗もの)で、問題点を浮き彫りにしていく。それは厳密な和声の選択、的確なコントラストの創出(時系列構造)、そしてもうひとつは言葉では言い表しにくいがビゼーチャイコフスキー(もちろん、音楽史に残るような作曲家は誰でも多かれ少なかれあてはまる)が持っている“特別な要素”、そして、浄書の問題。
 最初はムソルグスキーの「展覧会の絵」の原曲楽譜でラヴェルによるオケ版を聴く。ピアノとオケが表現しようとしているものが微妙に異なること、そして、オケにはオケのピアノにはピアノの限界があり、優れた作曲家たちは限界の遠いほうで勝負する。
 などと書き始めるとキリがないので、これでおしまい。シンコペーションポリリズムによる見事なリズムの饗宴が繰り広げられるクライマックスは、完成したら聴きものとなることだろう。完成は近くないと思われるものの、いずれ「音の絵日記」に演奏がアップされたら多くのアクセスを集めることは間違いないだろう。
 作曲に必要な音楽理論は、いくらでも勉強できるが、作曲するための核心は教えたり習ったりするものではない。すでに答えは自らの中にあり、それを掘り出していく。その時に使う道具が、音楽史上の作曲家たちが残した音楽遺産への深い理解である。音楽解説書に書かれていることの大部分は役に立たない。役に立っていたら世界は作曲家であふれ返っていることだろう。私が師から学んだ最も重要なことだ。ピアノの音色やペリオーデ同様にクオリアなので、それを持つ人から直接感じ取るしかない。
 
 絵里子さんの新曲にインスパイアされて脳が目覚め、夜はずっと楽譜に向かう。午前2時になったので寝ようと思ったが、気持ちがヒートアップしていて無理そうだった。テレビのHDレコーダのコンテンツを見ると、山田太一の2000年頃のドラマの再放送があった。眠くなるまで見ようと思って見始めたら、面白くて最後まで視聴してしまった。クールダウンどころかますますヒートアップ。クールダウンできそうな番組を探すと茂木健一郎さんが司会を務めるプロフェッショナルの「文化財輸送」があった。以前、一竹工房にいたときに大和運輸の美術品輸送部門の人たちと仕事をしたことがあり、興味があったので再生。興福寺展の阿修羅像の輸送ドキュメントである。日通の美術部門の達人。美術品輸送というのは知らない人にとっては、その問題点が意識にのぼることさえないかも知れない。ところが、輸送というのは振動と重力加速度、そして支えることによって生じる摩擦(こすれ)との戦いである。今までのプロフェッショナルも興味深い内容が多かったが、今回も素晴らしかった。
 というわけで外は朝。5月8日は厳しい一日となりそうな予感の中、わずかな眠りについた。