7月9日(木)

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 午後10時にレッスンを終えて、ウォーキングから帰宅したところ。
 三枝君から「あし笛の踊り」の楽譜が届いている。三枝ワールド全開。ピアノ発表会で演奏したらバカ受けしそうだ。こちらは「金平糖」で返礼するか。それとも「アラビアの踊り」を本当に「アラビアの踊り」にしてしまうか。
 ウラノメトリア2αのレッスンの手引きを短くまとめる作業が進んだが、まだ2ページ減らさなければならない。作業を急ぐ時に限ってインスピレーションがやってくるものだ。ソナチネ第6番のアイディアがふつふつと湧いている。
 茜ちゃんの振り替えレッスンも無事終了。ハノンが上達している。つまり、彼女には打鍵に関するインスピレーションがあるということだ。
 作業に戻る。

0痔30分追記

 ニュースを聞いていたら川喜田二郎先生逝去の報があった。享年89歳。川喜田二郎先生その人については詳しいわけではないが、土肥先生や吉田正太郎先生の次くらいに影響を受けた人だ。とくにKJ法に接した時には、それまでモヤモヤしていて分からなかったこと全てがつながった気がした。KJ法は“ドレドレ感”のようなもので、ネットで調べようが100万円払ってKJ法の講座を受講しようが分かるとは限らない。これは天才がいきなり正解に辿りつくプロセスをスローモーション化したようなものである。
 インスピレーションとは関連する事実が一挙に形を成すことと言える。たとえば時計の脱進機やクルマのディファレンシャルギアの仕組みに気づくにはひとつひとつの要素(この場合はパーツ)の関係が一度に把握できなければならない。作曲も演奏解釈もよく似ている。KJ法はカードに情報を書き込む際の絞り込みに成否がかかっているが、それについて書かれたものを寡聞にして知らない。つまり、KJ法はプチ天才を体験できる可能性のある優れた考え方なのだが、それ以前に天才たらんとした経験がないとKJ法にたどりつくことができない。ここで説明したところで意味がないことは分かっているが、もう少し書くならば、ソナタを書く時に行なう部分動機作法は、部分動機そのものに意味がなければ何を操作してもまともな曲にならないのと似ている。情報の絞り込みができて、はじめてKJ法が成り立つ。川喜田先生ご自身が天才を説明できる天才だったのだろう。
 深い感謝の念を込め、慎んで冥福をお祈りいたします。合掌。