8月30日(日)

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 父方の叔母が亡くなり、朝の定期便更新後、親戚の男性のクルマに同乗して母と千葉に向かう。子どもの頃は毎年のように訪れた土地だが、最近20年くらいはご無沙汰していた。喪主となる従兄弟と葬儀の打ち合わせ。
 高速道路の往復は驚くほど早い。午後早く帰宅。とはいえ、かなり消耗したので、休息がてら何気なくテレビを見ると「テレビスポーツ教室 “ヨット”」という番組が始まった。
 ヨットなど全く興味がなかったが、疲れている時にはチャンネルを変える気にもなれないことがある。真面目に見る気もなく見ていたのだが、徐々に引き込まれる。ヨットというのはまさに科学そのものだからだ。その操船技術は自然に対する鋭い観察眼と、それに対応できるだけの思考力、応用力からなっている。そもそも、インストラクターの言葉自体に長い歴史の重みを感じた。風と波を読み、セイル、舵、体重移動による操船技術であらゆる局面を乗りきる。古くはフェニキア人たちが地中海に乗り出した時、彼らはすでにこれらのことを知っていたのだろう。そう言えば若い頃、登山技術に関する書物を読んだ時にも同じような感慨を抱いたのではなかったか。登山には体力だけではなく、装備や登山技術、気象や地質に関するあらゆる知識が総動員されて初めて達成されることを知って感動したのだった。
 カミさんは「気をつけないと現代人はおバカ街道まっしぐらよ」。全くそのとおりだ。その後に始まったのが「第30回少年少女囲碁大会」だった。全国大会の決勝戦が放送される。その「小学生の部」を観戦。囲碁のルールはほとんど知らない。知っているのはマンガ「ヒカルの碁」くらい。何も分からないのに、対戦が始まるとあっという間に引き込まれた。先手の黒が打った定石によらない布石、それは解説者の興奮した声を聞けば素人にも分かったのだが、今、碁を打っている小学生が天才同士らしいこと、それから囲碁が論理的でありながら、極めて感覚的なものでもあることが分かったからだ。これは、まさに楽器の演奏と似ているのではないか。一手一手に解説のプロ棋士が感心している。
「ぼくは、この子たちに勝てないかも知れません」
 そんな言葉もあったと思う。打つ石は盤のあちらこちらに飛び、まとまりがないように思えるが、それら布石が後で効いてくる。勝敗が見えてくる頃、それはソナタ形式の再現部を思わせるものだった。
 
 午前1時追記
 選挙開票速報も一段落。自民党の歴史的敗北で終わった。麻生首相自民党一部閣僚のオウンゴールに助けられて民主党が結果として勝利したという印象。候補者へのインタビューは、そのまま取材側と候補者双方の事実認識の表明となっており興味深かった。彼らが話せば話すほど、彼らが事実をどのように捉えているのかが明らかになってくる。それらをじっくりと分析することによって誰が優れているのか分かることだろう。我々がピアニストに期待するのがアマチュアとの圧倒的な差であることは間違いない。政治家にも、プロとしての政治手腕を期待するのは当然だろう。ところが、当選した議員の発言が素人以下であったりすることもあり、彼らの今後の成長を願うばかりという場面もあった。有権者も雰囲気に流されずに厳格な判断を下せるように、判断の基準を持たなければならない。