9月17日(木)

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 昨夜は、夜遅くなってから新閣僚の就任会見があった。何もこのような深夜に会見を行う必要はなく、むしろ率先して「夜は眠るものだ」と首相が述べてぐっすり休んで、体調万全になってから会見を行なうほうが何かとよいのではないか。組織的な残業体質はよくない。とは言うものの、毎晩眠れる気がしない “とむりん氏” は漫然とその会見の模様を見ていた。予想を超えるような、インスピレーションあふれた言葉を期待していたわけではないが、やはりなかった。しかし、誰もが強い決意を持っていることだけは感じさせた。
 就任会見後、録画しておいた「プロフェッショナル - 仕事の流儀」を視聴。井上雄彦(いのうえ・たけひこ)密着取材だから見逃せない。彼の生の言葉を聞くのは2004年頃にトップランナーに出演して以来だろう。知らない人もいるかも知れないので書いておくと、井上雄彦さんは「スラムダンク」や「バガボンド」で知られるマンガ家。まだ40歳になったばかりくらいのはずだ。手塚治虫とは別タイプの天才型マンガ家。小説の大家を文豪と呼ぶならば、彼はマンガ豪である。その昔、舞台俳優は映画業界を、映画人はテレビ業界を低く見ていた。同様にマンガ家よりも小説家のほうがエライ時代が長く続いた。筒井康隆は、いち早くマンガの表現力に気づき「小説家は危機感を持て」と警告した。そしてそのとおりになった。
 井上雄彦はウケ狙いで作品を描かない。彼は昔も今も他者の評価など気にしていないように見える。ベートーヴェンと同じだ。彼は自分が納得しなければ描けない。すでに芸術家のスタンスだ。マンガはネームからはじまる。作曲で言えばスケッチに当たる。彼はマンガに登場するキャラクターがきちんと描ければ物語は勝手に進むというようなことを言った。作曲も同じだ。モチーフが本来あるべき姿で確定すれば、その後の作業はピタリピタリと決まっていく。それは書き手にもどうにもならない運命のようなものだ。
 ところが、1時間あるべき録画は40分で切れてしまった。新内閣発足で番組編成が20分ずつ後ろへずれたためだった。歳放送をなんとしても録画しなくては。
 この番組を見て別のことにも思い至った。やりたい仕事について訊ねられたら、おそらく多くの若者が自分に合っていて、力も発揮でき、自分の考え(創造性)を生かすことができ、あわよくば収入の多い仕事に就きたいと答えることだろう。ところが、最初からそのような仕事は多分ない。
 理由はこうだ。人はそのことに本当に詳しくならないと何も知らないに等しい。だから「○○という仕事に就きたい」と思っても、おそらく現場に出たら勘違いだらけであったことに気づくことだろう。マンガ家は大変だぞと言いたいのではない。その逆だ。マンガ家の誰もが井上雄彦のように仕事をしているわけではない。彼のようなマンガ家は彼しかいないだろう。彼は彼自身の力で井上雄彦という仕事(業種)を作り出したのだ。
 若者が仕事の現場に出て、こんなはずじゃなかったと思うのは当たり前だ。それは前任者たちのアイディアの(あるいはアイディアがないためにそうなった)結果であり、職場本来の姿であるとは限らないからだ。“本来の姿” などあるわけがないが、少なくとも正しい形で運営されている会社や組織があったら、それは天才集団だけがなし得る快挙である。
 他人を変えるのは大変だから、そのような意味では自分で会社を興すか、あるいはマンガ家や小説家、作曲家になるほうが楽だ(仕事自体は全然楽じゃないぞ、ほぼ間違いなく)。要するに井上雄彦のすごさは、そこにある。
 学校の進路教育も、天才的な指導者が現れないと実態を反映しないまま子どもたちに意味のない夢だけを見させて終わってしまうことだろう。世界には本当の夢がゴロゴロしているにもかかわらずだ。
 尻切れトンボになってしまった「プロフェッショナル」を見終わってからも、まるで眠れる気がしないので、ハードディスクレコーダに録画されていたハリソン・フォードブラッド・ピットが共演している映画を見ていたら夜明け前になってしまった。こんなことではいかん、と、なんとか眠る。
 カミさんの出勤時刻が近づいた朝8時近くになって起床。今日は、一日気持ち悪いし、少し動くと冷や汗が出たりする。今夜こそ早く眠りたい。
 
追記:マイケル・ムーア監督の新作「Capitalism:A LoveStory」の町山智浩の映画面白いのでリンクしておきます。ぜひどうぞ。

http://newsweekjapan.jp/column/machiyama/2009/09/post-60.php