12月29日(火)

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 「わが家は毎年のことながら年末らしさがないが、今年は特に年末の印象がない」というようなことを娘のたろが言った。長男の「風」も次男の「海」も仕事の帰りが遅く、特に海とはほとんど話していない。今日は風が早く帰宅して一緒に夕食となったが、たしかに年末らしさがなくなった。

 午前は家事を終えてからしばし楽譜書き。午後はユリちゃんが受験勉強に来た。塾よりもピアノのレッスンを選んでくれたユリちゃんとご両親に敬意を表して、少しくらい勉強を手伝ってもバチはあたらないだろう。
 今日は英語の過去問題。出題文が最初に置かれているが、それから読むのは愚の骨頂。まずは設問を読む。
「わ!」
 そうだとも。
 設問を理解してから出題文を読めば、どこが問題となっているのかすぐに分かるのは当然。さらに、解答に関連する文を、楽譜におけるスラーで区切る。関係代名詞などペリオーデ分析にそっくりだ。
「英語がこんなに分かりやすいとは!」
 そうだとも。音楽も言語も時系列構造で意味が明らかになる点が共通なのだ。それは作曲のレッスンでは扱うが、ピアノでは少ししか触れないから、今日はびっくりしたことだろう。
 「今日、初めて英語が面白いと思いましたよ、ワタシ」
 それはユリちゃんが、ほとんどあと一歩というところまで理解が進んでいた証拠。
 タイマーを用意して3分間の休憩。それより長いと素早く元の気持ちモードに戻れない。休憩時間は芋けんぴを食べながら、ヒアリング練習にはどの映画がいいかというアイディアを出し合う。CDをスコアに書き起こす作業の時の集中力は強烈だ。ヒアリングもそうでなければ効果は上がらない。
 
 午後遅く、カミさんと年末の買い物に行く。長男からもらったマックのタダ券があったので、ソフトクリームを食べたりコーヒーを飲んだりした。有料だったのは100円ハンバーガー1個だけ。うちの子どもたち(2人は成人しているが)は、実はよくやっているのではないか(と前向きに考えよう)などと話したりした。もちろん昔だったら3人とも落第だ(今でも落第かも)。しかし、現代はいろいろな意味で自立できない子どもを家庭・学校・社会が量産している時代だ。わが家は親をあてにできないので、子どもたちは自分を頼るしかない。彼ら3人とも、自分の腕一本で生きていく覚悟だけはできていそうだ。
「あたしは稼ぐからね〜!」と親に対する批判ともとれる決意を言うのが娘の“たろ”。いいぞ、稼げるものなら稼ぐべきだ。美大を出てどうやって稼ぐかどころか、そもそもまだ入学すら果たしていないところが問題なのだが、心意気はそうでなければ。
 
 そうそう。夕方にTさんママがレッスン室用のカレンダーを届けてくださった。引っ越すまで3姉弟をレッスンに通わせてくださっていたお母さん。彼女も「塾よりピアノ」型。お子さんたちの近況を尋ねると、長女のRちゃんは大学を卒業して無事就職。長男のM君は東大に入学。末っ子のMちゃんは今年大学受験だそうだ。M君がんばったなあ。
 
 カミさんの仕事が休みの時は私がキッチンに立つことになっている。あ・・・、夕食後にリンゴをむくのを忘れた。そうだ。ミカンを食べてしまったからだ。