3月3日(水)

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 なんと昨日も寝そびれて、今日は超ハードな一日となった。
 父との昼食時に鹿鳴館を設計したイギリスの建築家コンドルの話になった。

と「コンドルってジョセなんとかコンドルだっけ?」
父「ジョサイア・コンドルだ」
と「まだ無名時代に来日したと思ったけど・・」
父「20代半ばに来日して辰野金吾や曽禰達蔵(そね・たつぞう)、片山東熊、佐立七次郎らを育てたのだから優秀な建築家だった」
と「そう言えば、鹿鳴館はいつごろまであったんだろうか?」
父「オレが10代の終わり頃に丸の内の印刷屋で働いていたんだが(初耳!)、その頃はまだ鹿鳴館はあった(取り壊されたのは1940年)」
と「え、実物を見ているということ?」
父「そうだ。その頃は保険会社が社屋として使っていた(後で調べたら“徴兵生命”という保険会社)」
 90年以上生きているとはそういうことなのだ、と気づかされる。
父「弟子の辰野金吾は知っているだろう」
と「えっと・・・東京駅の設計者だね(やっとのことで思い出して冷や汗)」
父「日銀本店も、いくつかの支店も作っている。コンドルの最初の弟子は片山東熊だ。上野の博物館の左側の建物、何て言ったかな・・」
と「表慶館?」
父「そうだ。あれが彼の作品だ。それから慶応義塾の図書館を建てた曽禰達蔵もコンドルの弟子だ」
と「んんん・・・(慶応大学の図書館が思い出せない)」
父「曽禰達蔵はコンドルとともに丸の内の都市計画にもかかわった」
と「そんなに重要な仕事をしたのか・・」
父「もう一人、コンドルの弟子には佐立七次郎と言う人がいて、彼は日本の水準点原器の建物(正確には「日本水準原点標庫」)を造った。国会議事堂の前にあるから観てくるといい」

 母が入院してから父の話を聞く機会がぐんと増えた。沖縄戦の話、捕虜収容所で感じたアメリカの圧倒的な豊かさのこと、日本の城郭の話など、興味深い話が尽きない。もし父が世を去れば、それはその記憶がこの地上から消失するということと同義だ。
 
 午後、父の依頼で図書館に本を返却に行った。ついでに音楽書の書架を探索していると千蔵八郎さんの「音楽 その美をさぐる」を見つけた。大学の講義録のような体裁をとった内容で実習問題もある。その問題がすばらしい。
 たとえばモーツァルトの節の課題。

1.モーツァルトの音楽を聞いた時に、まず感じることはなにか。思うところを自由にまとめなさい。
2.モーツァルトの音楽は、ハイドンベートーヴェンのそれとともに、古典主義の音楽として総括的にまとめられるが、個人様式としては他のふたりと違うところが感じられるだろう。どんなちがいが感じられるか、思うところをまとめなさい。
3.モーツァルトの生涯を、2000字程度でごくかんたんにまとめてみなさい。
このような課題が全部で16もある。最後は難問。
16.モーツァルトを演奏するとき、どんなことが大切か。思うところを箇条書きにし、それぞれについてかんたんに説明しなさい。

 このような課題では、ウィキペディアの単純なコピペは通用しない。作曲工房で学ぶ人たち全員が自分の言葉でこれらの課題に対して答えられるように、私にレッスンできるだろうか。もちろん、できるようにしなければならない。
 夜のレッスンにやってきたカナコちゃんに課題を見せると「すごい設問ですね」と驚いた。そして2人で、こんな課題を出されたら時間が足りない!と言ったのだった。