3月18日(木)

56080

 いきなり何の脈絡もない話題から始まるが、ワシントン条約会議で提案された大西洋のクロマグロ禁輸案に日本は諸手を挙げて賛成すべきではなかったろうか。マグロの世界最大の消費国は日本であり、近々それに中国が追いつくことだろう。ということは大西洋マグロ漁をしている国々が、日本や中国に輸出できなければ大量の(あるいはそれ相当の)失業者を生むことになるだろう。だから経済的に困るのは、むしろ大西洋でマグロ漁をしている国々であって日本ではない。
 ここで、日本は資源保護のために賛成側に回っていれば国際的なイメージもよくなるのではないか。外交というのはそのような側面があってしかるべきだろう。
 似ていないようで似ているのが日本の冠婚葬祭だ。あのお仕着せのような結婚披露宴に心底あこがれている人はいるのだろうか。プロの披露宴専門司会者が口を開いた途端、単なる参列者であっても恥ずかしくてその場から逃げ出したくなるのだが、他の人は平気なのだろうか。葬儀も通夜と告別式の2回に別れていること自体が妙だが、故人を偲ぶ機会が与えられない葬儀とはなんなのだろう。オースン・スコット・カードの名作である「死者の代弁者」には、故人に代わって語る人が登場する。生前に何を考え何をしたかが参列者たちに語られていく。キリスト教の葬儀でも司祭によって故人の思い出が語られるが、それでもいい。
 読経の代わりに、参列者が故人とのかかわりや思い出を交代で次々と語っていくというのも良いだろう。日本では、よほど有名な老人でもない限り、孫は自分の祖父や祖母が何をした人であるのか知らずに終わってしまうことだろう。
 それがどうしてワシントン条約と関係があるのかという疑問が浮かぶことだろう。個人のイメージも外交上のイメージも受け手の印象が勝手に作り上げるものだ。だから、発信側が情報発信して相手のイメージ形成に積極的に切り込むべきだという点が似ているのだ。
 そう考えると、ブログを書くという行為もイメージ形成に影響することになる。これは気をつけなければ。

 今日のウラノメトリア編集会議では、まさかと思うような小さな、しかし大きな結果を引きずる誤りが発見された。また、1ページに納めようとして作曲して尻切れトンボのように感じる曲まで登場してしまった。64ページに少しでも多くの情報量を格納しようとするとそういうことも起こってしまいがちだ。明日から、その対策も新たな作業として加わることになる。