3月20日(土)マザー2の思い出

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 日本全国に気象警報・気象注意報が発令され、強風の被害に関するニュースが報じられている。
 そんな中、今日は“たろ”と任天堂が1994年にリリースしたゲーム「マザー2」の話題で盛り上がった。わが家ではマンガとゲームは、ほぼ義務化されている。特にゲームに関してはギリギリのところで黎明期に遡ってその歴史を追体験することができるので、わが家の子どもたちはゲームの爆発的な創世記、そして拡散と浸透、細分化の歴史をつぶさに見てきた。ゲームを禁止する家庭(親の人生観)が多い中では理解を得られにくいとは思うが、何かのムーヴメントが興る黎明期には、そこに必ず天才がいるものだ。幕末には倒幕に燃える志士たちがいたり、ジャズの黎明期に「ジャズ・ジャイアント」と呼ばれるミュージシャンがいたことがその一例として挙げられる。当時も多くの親が倒幕に関わるなとか、ジャズを聴くと不良になる(ロックも同じ道をたどってきた)などと子どもを戒めてきたのではなかったか。
 ゲームの世界にも天才が現れて驚くべき世界を作り上げた。
 そこで“たろ”の今日の一言。
「どうしてあたしはマザー2の開発に関われなかったんだろう!」
 それは無理だ。開発が始まった頃に生まれたのだから。
「この世界観はすごいよね。キャラクタデザインもほかのゲームと全然ちがうし、音楽なんてフツーじゃないよ」
 まさに同感だ。
「コンセプト全部にやさしさと愛があふれてるよね」
 それに関しても全く同感だ。たしかに、どういう才能が集まればこのような世界が生まれるのだろうか。また、ガイドブック(攻略本)が凄い。詳しくは書かないが、糸井重里氏によるガイドブックは歴史に残るものであることは間違いない(ゼルダの伝説の攻略本も素晴らしい)。
 その後、リビングのPCで動画サイトを開いて「マザー2」の音楽を流す。50分を超える大きなファイルだ。1曲1曲が見事で、音楽を聴くだけでゲームの進行が甦ってくる。もう15年以上前にやったゲームなのに細部までが思い出される。画面上に流れるコメントには「ゲームで泣いたのはマザー2だけ」などと書かれていて、“たろ”も「あ、もうあたしだめ。音楽聴いてるだけでウルウルしてくる」と言った。
 モネやゴッホだって当初は全く理解されなかったのだから、子どもたちに対してビデオ・ゲームを禁じた親は、ごくごく当たり前の反応をしただけなのだろう。
 思い出と言えば、ゲームの途中の重要なポイントで神出鬼没の自称天才カメラマンが現れて、記念写真を撮ってくれる。長い時間をかけて物語を終えると、エンディングで、その写真が次々を現れるしかけ。たいていの子どもたちは胸がいっぱいになって、ここで涙をぬぐっていたことだろう。そんな時に「いつまでもゲームやってないで、宿題やっちゃいなさい!」という、いささかデリカシーに欠ける親の忠告が隣のリビングから聞こえてきたりするのだ。そんな時、子どもは自分が親と違う人生を歩んでいることを自覚させられたことだろう。
 こんなことを書くと「マザー2」が特別で、さぞかし傑作であると思われてしまうかも知れない。しかし、ゲームの世界には傑作が数多くあり、それはクラシック音楽の世界とも似て、どれが最高とは言い難い。
 ゲームの水先案内人となって家族を牽引したのは長男の“風”だった。ゲーマーとしての手腕を発揮したのは次男の“海”だった。思い返せば彼らは小学生の頃、週末になると翌日のために早寝して気力・体力をたくわえ、休日は早起きしてボス戦に臨んだ。その気合いたるや見ていて気持ちよいほどだった。
 家族全員で点数を競い合ったのは「テトリス」だったし(カミさんが圧倒的な得点クィーンだった)、名人芸を発揮しなければならなかったのは「グラディウス」のようなシューティングゲームだった。誰かがやり始めると、周囲に集まって固唾を飲んで見守ったのは「クロノトリガー」であったし、「大戦略」や「シム・シティ」のようなシミュレーション・ゲームは頭脳戦だった(シミュレーションゲームはハマると危ない)。リアルタイムでゲームが進むジャンル不明の「どうぶつの森」シリーズでは、深夜にしか起こらないイベントのために、夜更かししたり、早起きしたりした(家族のとりきめで、ゲーム内の時計の変更は許されなかった)。有名な「ドラゴン・クエスト」や「ファイナル・ファンタジー」シリーズは、常識としてのルーティン・ワークだった。アクションゲームや格闘ゲームもひととおりこなした。しかし、ゲームの細分化に伴って、家族全員が同じゲームをすることもなくなった。
 かくして、子どもたちは皆クリエイター系に育った。
 そうとも。この世の中で最も価値あることのひとつが人々を虜にするような何かを生みだすことだ。
 みんな頑張れ。