5月6日(木)

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 連休明け。父が早起きして(多分うっかり)寝室のシャッターを開けてしまったので、一緒に早起き。
 午前中は、ウラノメトリアを発送するための送り状を書いたり荷造りしたりで終わってしまった。平行して、母にまつわるさまざまな事務手続き、主に自動引き落としの口座変更手続き。カスタマーセンターは、どこも丁寧な対応で、手続きはスムーズに進んだが、数が多いのでかなりの時間を費やした。HNKだけは電話が繋がりにくく、時間を空けて何度かトライしてようやくオペレータと話ができた。オペレータに繋がる前に、会話が全て録音されるというメッセージが流れる。顧客の用件を確実に残すことと、理不尽なクレイマー対策を兼ねているのだろう。応対を聞いていると、市の水道部のような“官”から“民”まで、どこも似たような研修を受けているという印象だった。
 夕方近くになってから、MDダビングのオプティカル接続用のケーブルがおちゃめさんのところにあるのを思い出して、電話して借りに行った。ところがコンポーネントタイプのMDにはフィットしたものの、ポータブルMDプレイヤーには接続できず残念なことに。仕方なく、メタルケーブルでアナログダビングした。これで4手ソナタの演奏がいつでも聴けることに。振り返ってみるとMDの規格寿命は短いものだった。DATは普及する前に廃れてしまった。カセットテープやCDの規格寿命の長さは大したものだ。
 その点、紙の楽譜は寿命が長い(読み出すための機器類が不要なので比較はできない)。20世紀中葉には新しい記譜法の開発が盛んに行われたが、どれひとつとして一般化しなかったと言ってよいだろう。考えてみれば当然のことで、五線譜による定量楽譜だけでも譜読みに熟達するには一生を賭けなければならないほどだ。1曲だけのために新しい記譜法に習熟しなければならないのは理不尽でさえある。
 夜は4手ソナタの「2台ピアノ版」のアイディアを練った。まずプリモをピアノ協奏曲のピアノに見立てて、プリモだけで音楽的に成り立つようにする。そして、セコンドはセコンド1パートだけでも音楽的な意味を持たせる。高度に対位法的な曲ならば対等な2つのパートとして成立させることもできるが、この曲では、むしろコンチェルトタイプのほうが両者の性格が際立って良い結果を生むだろう。