6月11日(金)市田儀一郎先生の講習会

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 今日は待ちに待った市田儀一郎先生のバッハ・インベンションの公開講座。午前10時、浦和柏屋楽器店のフォーラム5Fホールはすでに満席。柏屋の担当の方が次々と椅子を並べ足していく。そんな中に柏屋の久保谷さんと安藤さんの姿が。お会いするのは20年ぶりくらいか? 久保谷さんは私が中学校教諭時代に、安藤さんは高校教諭時代にお世話になった方。2人とも年相応の貫録が。
 ほどなく市田先生登場。先生も70代後半の“後期高齢者”。あの「平均律クラヴィーア全2巻」の解説に見られる硬派なイメージはなく、好々爺という印象。ほのぼのとしたお人柄に会場の緊張は一気にほぐれた。
 「今日は2声だけやりましょう」
 1720年の初稿のときの曲順(調性)、23年の改訂版(現行ヴァージョン)の曲順から入ったのは、バッハが計画的・理知的であったことを示すためにも非常に有効な順序であった。
 続いて、インヴェンションの有名な序文にある「作曲に興味を持てるように」というくだりを「最近になって分かった」と話しながら説明してくださった。
 ここで市田先生の研究姿勢に作曲家の視点ではなく、研究者の視点を見た思いがした。なぜなら、我々作曲家の多くは、インベンションとシンフォニアから「単一の動機」からどこまで音楽を構築できるかという範例集としての役割が最も大きく思えるからだ。だから、序文で最も重要な文章が「作曲に興味が持てるように」という一文は中学1年生の時からずっと心に刻まれている。これなら私のような作曲家に欠けている「音楽学者としての研究者の視点」を知る良いチャンスかも知れないと思った。(この先、読み方によっては市田批判のように見えてしまうところがあるかも知れないが、私との視点の差について記述しただけで、私は昔から根っからの市田先生ファンであるので誤解なきよう)
 そして、何より楽しみにしていたのは市田先生のタッチ。なぜなら、「タッチ、この素晴らしい手」という著書に感激していたからだ。しかし、市田先生の指から鳴り響いた音はごく普通の、むしろハンマーフェルトの空気層を押しつぶすような音だったので、とても意外だった。ピアノのせいだろうと思ったのだけれど、後で弾く機会があって、それはむしろ好みのピアノだった。
 インヴェンション第1番の分析は全音市田校訂版の解説にはない応答に呼応する対位主題に関する話題から始まった。市田先生は2小節目のGから始まるdux(主唱)が転調の結果に聴こえるらしく、後半の対位主題が「属七」であることを強調しておられた。プラルトリラーをわざわざG-FisとG-Fで弾いて、その差を聴かせてくださった。私には第2小節はC:V-V7としか聴こえないので、最初は何を説明してくださっているのか分からなかったが、市田先生の研究者としての徹底的な“詰め”なのだろうと思った。
 そして、もっとも注目していた第3小節上声部第2音から始まる “奇跡の18音”(巡行形と反行形、反逆行形が同形になる)は、2拍ずつのゼクエンツ3回という説明で終わってしまった。市田先生は「1回、2回、3回」と声に出して数えながら例奏してくださった。たしかにゼクエンツだが、3回繰り返したのは、それがちょうどG Durへの転調処理となるからである。
 市田校訂版でも、この第1番はカデンツで区切ってI、II、IIIと分けられている。“18音”の出現から見て、第I部の3-4小節目は、第II部の5-6小節目に相当し、第III部(逆行形で提示)においても5-6小節目に呼応する。演奏のヒントはここにあると思うのだが、その話はなかった。その代わり、第13小節後半から始まるクライマックスを「カンタービレ」と表現なさっていたのには、まさに言葉にできなかったことをずばり言ってくださったという気持ちになった。そうだ。ここはまさにカンタービレではないか。私なら con calore などと言ってしまうところだろう。
 第1番の解説の終わりに「質問はありますか?」ということだったので、例の18音が作曲の核となっているのではないかという問いかけをしたところ「それは考えすぎでしょう」と一蹴されてしまった。恐れ入りました。
 それから13番について少し触れた後、ショパンの作品64-2のcis mollのワルツの中間部のヘミオラ構造についての説明があった。市田先生は「私がこれに気づいたのはほんの5、6年前」と仰っておられた。そしてさらに「こんなこと(ショパンのヘミオラについて)を言うのは私だけ」ともつけ加えておられた。私は「そういうものなのか(多くの人がヘミオラに気づかずにいるということに)」と驚いた。作曲工房では、おちびでもヘミオラはすぐ見つけるので、ヘミオラは教育しだいということも分かった。なお、ウラノメトリア第3巻にはショパンの64-2の(より発見しにくい別の)ヘミオラが載っている。
 とにかく、これで平均律曲集市田校訂版第1巻第24番のプレリュードの謎が解けた。そのプレリュードの野村茎一校訂版を持っていったのだが、たまたま隣りにいた方にプレゼントしてしまった。
 市田先生に献本しようと持参したウラノメトリア第3巻αも、市田先生が気づかれていないショパンのヘミオラ(なぜ断言できるかというと、64-2のBの部分は拍子どおりと仰っておられたから)が載っているので献本できなくなってしまった。
 12時少し前、大きな拍手とともに講習会は終わった。そこで、ちょっとしたできごとがあった。それは、私のまわりに小さな人だかりができたこと。“奇跡の18音”に賛同してくださった方々だった。ひょっとしたら、これを読んでくださっているかも知れない。賛同してくださって本当にありがとうございました。機会があったらぜひメールしてください。平均律第1巻24番の野村茎一校訂版を贈呈させていただきます(PDFファイルでメールに添付して返信します)。