6月12日(土)オオミズアオ

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 今日は、あまりにいろいろなことがあったので選択的に書かざるを得ない。
 時間的には我が家の不用品の分別作業がもっとも比重を占めたけれど、長男の“風”から「仕事帰りにみずほ台(東武東上線)の駅に向かう道でオオミズアオを見た」というメールがあったことのほうが今日という日を印象づけた。
 子どもの頃には作曲工房周辺にも時折オオミズアオが姿を見せることがあった。蝶だの蛾だのは大嫌いだが(正直怖い)、やぶがらしが茂っているような日陰で、幽霊のように青白く蛍光色っぽい薄緑色を発するオオミズアオは神秘的なくらい美しかった。しかし、幽霊に出会ったのと同じような気持ちになるのも本当。そんなものを見た日は、走って家に帰って押し入れの中で「神さま、夜中に部屋の中に100匹のオオミズアオが入ってきたりしないようにしてください」と祈るしかないのだった。祈りは通じて、未だに夜中に部屋の中の100匹のオオミズアオを見たことはない。
 オオミズアオは学名に月の女神「アルテミス」が当てられている。それを見ても、昆虫学者だってオオミズアオにはやられてしまったことが分かる。
 夜、娘の “たろ” から「あ゛〜゛〜とむりん、なにかいい本紹介して」とひどくいい加減な、しかし切羽詰まったような依頼を受けた。オオミズアオの日には、こちらも精神の安定を欠いているので、“たろ” と同じ歳の時に読んだ吉村昭の「星への旅」という短編集を薦めてしまった。標題作の他に「少女架刑」や「透明標本」が収録されている。「少女架刑」は死んでしまった薄幸の少女が、献体されてから骨格標本になるまでを一人称で語る物語だ。まだ部屋の灯がついているから、ページをめくる手が止まらなくなってしまっているのだろう。明日から風景が少し違って見えるかも知れない。それも歪んだりして。たろぴゴメン。
 夜のレッスンは高校生のJ君。一緒に中島敦の「名人伝」を読む。「少女架刑」が同じ世界に存在しているなどとは考えられないくらいかけ離れた話だ。ずっと前にポロちゃん(アメン王子のほう)に朗読して聞かせたら「ポロの名人伝」となって再現された。オリジナルより面白いかも知れない。

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ポロのお話の部屋入り口
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 「坂本龍一 スコラ 音楽の学校」は「ドラムス&ベース」の第3回。前にも書いたように、この番組は音楽よりも語っている人たちのことがよく分かる。YMOが本当に大物揃いであることを感じさせる。細野晴臣さんの「歳を経て枯れたミュージシャンの良さを初めて知った」という言葉が印象的。歳をとると楽器や音楽に逆らわなくなるのだ。ピアノだって、鍵盤をねじ伏せようなどとは考えなくなる。鍵盤の構造と手指の機能、そして地球の重力に素直に従うようになる。細野さんは良い歳のとりかたをしてきたのだろう。しかし、最後のYMOのライヴ演奏でとりあげた「Thank You For Talkin’ To Me Africa」は退屈の一言に尽きる。私のほうが彼らよりもまだ人間ができていないということかも知れない。