6月15日(火)

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 梅雨入りしたはずなのに良く晴れた朝。結局午後遅くまで陽射しがあって、ソーラーパネルも22kw/hの発電量だった。夜になって小雨。
 午前中は千賀子先生のレッスン。
 最初はバッハ・インベンション。千賀子先生にバッハを語るのは初めてなので、レッスンにおける位置づけの考察からスタート。30年くらい前まで全音版では難易度が赤い帯、星ひとつという扱いだった。それが今では星3つ。ずいぶんとインベンションに対する視点が変わったものだと思うけれども、作曲工房における位置づけはさらに高い。
 インベンションが「フリーデマンのためのクラヴィア練習曲」であるという言葉に騙されてはいけない。それが事実であったとしても「息子のための練習曲」であることと「高度な対位法作例集」であることとは矛盾しない。確かに「フーガの技法」と比較すれば、フーガの技法にはさらに高度な作例(「反行と拡大のカノン」「新主題と主要主題によるドッペルフーガ」「未完の4重フーガ」など)があるけれど、インベンションも我々が原典版でレッスンするには高い壁がある。また校訂版を使おうにも、様々な版が出ていて決定版がない状態でもある。
 私自身は、バッハの導入には全音から出版されているロザリン・テューレック著の「バッハ演奏の手引き」からスタートするのがよいと考えている。原典譜とそれを読み解いた「奏法譜」が並べられており、奏法譜は全て二重スラーで書かれているのでアーティキュレーションは小スラーで、フレーズの把握は大スラーによって分かる。「校訂版とは、こうあるべき」というお手本のような楽譜だ。ただし、そこに表記されたことが全て正しいとは言わない。表記の方法を手本とすべきという意味である。
 ピアノのレッスンにおいて対位法的構造の解析が最優先されなければならない理由はない。それは第二義的なものであって、最優先されるのはアーティキュレーションの決定である。そして、それらは正確な拍子の把握の上で行われなければならない。バッハは「変拍子」(混合拍子という意味ではなく、アクセントの位置が移動することにとって起こる拍子の変化)の作曲家なので、拍子を読み解くことなしにフレーズ長(厳密な言い方をするならばペリオーデ)を決定することはできない。ペリオーデ分析なしにアゴーギクは決められないので、詰まるところ望んだ演奏はできないということになる。
 ペリオーデ分析は「バイエル」が最適だろう。だから生徒がバイエルを理解して無事修了したら、バッハの小品から取り組み始めればよい。
 バッハには平易なクラヴィア曲も少なからずあるので、導入教材としてはそれらを使って、生徒がソナタアルバム程度のレベルになってからインベンションを始めるのが妥当なのではないだろうか。
 ウェブ上のレッスンサイトには、いまだに「バッハは原典版で教えるべき」という迷信とも風説とも思える文言が堂々と書き込まれているのを見かけるが、それは指導者がバッハ研究者でなければならないということだろうか。前述したように校訂版を使うにしても、どの校訂版を選ぶかという問題も研究者レベルでなければ答えを出せそうもない難題である。
 長くなってしまったので、今夜はここまで。