6月22日(火)

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 午前中は父の所用のために走り回った。父が、昼食は外で食べるというので私一人分となった昼食の用意が急に手抜きに。やはり料理というものは自分のために作るものではないのだ。
 午後、父のために注文した河出書房新社の「世界の美術」と講談社の「カラー版 新日本大歳時記」が届く。世界の美術が13650円、大歳時記が16000円という大著。そのうち読ませてもらおう。
 午後はレッスンが続く。バイエル中盤を弾いている2人のおちびが、それぞれ異なる個性で、とても美しい演奏を披露してくれた。一気に4曲と5曲合格。もちろん、鼻息荒く帰って行った。彼女たちなりに見えてきたものがあるのだろう。

 先週のスコラ。ベースとドラムの第4回。シーケンサーの登場によるリズムの変化。1980年代のシーケンサーの登場は衝撃的だった。YMOはマイクロコンポーザを使っていたように記憶しているが、初期のモデルはメモリが少なかったり、音符の分解能が低かったりしたにもかかわらず圧倒的な力を発揮した。
 今回のテーマであるリズムマシンは初期の頃から強力だった。YMOの3人はリズムのグルーヴ感を数値化する作業を続け、それを実現した。ここでも彼らは凄さを発揮している。
 しばしば「コンピュータに演奏させる」ことが簡単なことであるかのように語られるが、それは簡単なまま演奏させている事例が多いというだけである。シーケンサーと真剣に向きあうと、生半可なピアノの練習よりもずっと音楽と深く向きあうことになる。たとえば、レガートは音価を103パーセント程度にとって微妙な重なりが必要である、とか、アッチェレランドやリタルダンドが「まるで一様ではない」こと、楽譜どおりのリズムでは微妙にこちらの期待に応えてくれないことなどは、いわゆる「打ち込み」をやってみないと分からない。逆に、揺れないテンポとリズムが揺籃期の「テクノ・ポップ」を作り上げた一面もある(実際には、後期になって揺れを作っていたはず)。
 初期のシーケンサーのコピーは「これであなたも作曲家」だった。ワープロさえあれば小説家になれるということがないように、シーケンサーは作曲してはくれない。ただし、最近のノーテーションソフト(楽譜作成ソフト)は、多少の作曲の心得があれば4管編成のオーケストラスコアだって書けてしまうのは事実だ。ただしベルリオーズ止まり。誤解のないように書き添えておくと、ベルリオーズオーケストレーションは実に単純でピアノ連弾くらいの複雑さしかないが、彼の天才的な音楽発想力は、それでも充分な音を鳴らしてしまう。凡人が真似ても、そこに生じるのは退屈だけだろう。もし、私がオーケストレーションに関する教科書的なテキストを書くとしたら、その80パーセントくらいが対位法で埋まってしまうかも知れない。

 音楽的読解力についても書こうと思っていたが、明日以降に。