7月11日(日)参院選

72610

 今日は日曜日だけれどカミさんが急ぎの仕事で出社。他の家族もクタクタで、夕食は外食となった。
 最近の外食は値下げが続いていて客単価が下がる一方。場合によっては自宅で作ったほうが高くつくこともあるくらいだ。にもかかわらず客席は半分程度しか埋まっておらず(日曜日の夜だというのに)、外食産業も従業員に給料を払うのが大変だろうと心配になるくらい。
 思い返せば、1980年代後半頃には、日曜日夕刻のファミレスといえば30分や1時間待ちが当たり前だった。あの頃は「一億総中流」などという言葉があった。今の「格差社会」とは大きな違いだ。
 ところで、格差は「世代間格差」のことではないか。消費税も逆進性があるが、税率が決まっている以上、格差にも限度がある。しかし年金格差は違う。収入が少なく、老後も十分な年金を得ることが難しいかも知れない世代が、一部高齢者たちの高額な年金を支払い続けている。これはどう考えても消費税の逆進性を大きく超える格差を生み出す“仕組み”だ。消費税の根拠なき増税にも反対だが、今の年金制度の超逆進性を解消するほうが先だろう。
 エコポイントは購買力のある「持てる者」を救うばかりで、実は逆進性があると言えるのではないか。我が家にはエコポイント対象商品はひとつもない。子ども手当ても同様で、効果は限定的であると思える。公立高校の授業料無償化や保育園の定員増などの制度改革のほうが実効性が高いことだろう。
 菅総理の演説には正論もあったのに、言い方がまずくて逆効果になったことも少なからずあった。そのひとつの例が、太陽光発電普及のための補助金を電力料金に上乗せする「グリーン電力制度」の説明だろう。菅総理の説明は「電気代にグリーン電力のコストを上乗せすれば、財源なしでも実現できるんです」というようなもので「政府が負担しなくとも国民が負担すればよい」と受け取れる内容だった。本当は、その先の説明が重要だったのだが、彼自身ちょっと聞きかじっただけで、自分自身の考えになっていないことを窺わせるものだった。
 実際に先進各国では、このグリーン電力制度の導入によって太陽光発電の導入が進み、それを行わなかった日本は、わずか数年で世界トップの座から、目立たない位置にまで転落してしまった。
 昨年、日本が導入した10年間限定のグリーン電力制度は、電力会社の電気料金の2倍の価格で「余剰電力」を買い取るというものだが、ドイツなどでは「発電した全量」を3倍の価格で買い取る制度だ。これなら、ソーラーパネルの製品寿命期間内に確実にイニシャルコストが回収できるので、ソーラーパネルは設置したほうが得ということになる。それで確実にパネル生産量が増える。すると製造設備も増え、雇用も確保できる。予想以上に非常に大きな雇用となる可能性さえある。ソーラーパネルを装備すると電気自動車の普及も加速することだろう。充分な発電能力を持ったパネルならば、クルマの燃料代が自前となり、ランニングコストが限りなく低くなる。毎月2万円のガソリン代を払っている人なら5年乗れば、クルマの購入価格が120万円安くなったのと同じことになるからだ(ソーラーパネルの初期コスト回収が終わっている場合)。日本の原油輸入量も少しは減ることになるだろう。自動車会社の経営も改善され、ガソリンスタンドは充電スタンドとなって設備の交代が行われるために、ここでも製造業の雇用が増える。電気自動車には、まだ良い点(信じてもらえないかも知れないが、走行距離が短いこと)があるのだが、それはまた次の機会に。
 しばしば自宅は不動産価値があるので資産と思われる傾向があるけれども、バランスシート上で言えば、ただの負債に過ぎない(値上がりが続いたバブル期は別)。今のような先の読めない時代に何千万円ものローンを組んで長期のローンを組むのは公務員以外は危険というものだ。住宅ローンというのは、毎月10万円以上の赤字補填をし続ける負債と考えるべきだろう。その点、ドイツのようなしっかりとしたグリーン電力制度のもとでは、ソーラーパネルは収入があっても兼職とはならない「資産」である。
 ただし、政府のしっかりとしたエネルギー政策の下でという条件付きだから、現在は、よほど条件が整わないとソーラーパネルは負債になりかねない状況下にある。
 いずれにせよ、年金制度も消費税も補助金も、政治家が本当の仕組みを理解してから法を整備しなければ「年金」という名前、「消費税」という名前だけの存在に成り果ててしまうことだろう。