8月4日(水)対位法

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 昨夜は早寝したにもかかわらず、早朝4時半にめざめてしまったため2時間睡眠となってしまった。
 おまけに今朝、調子の悪かった電子レンジがついに故障。カミさんから「今日中に買ってきて」と命じられたが、果たしてクルマに乗れるか?というくらい調子も悪かった。
 しかし、こういう時に限ってインスピレーションが降ってきたりするものだ。4時半に目覚めてすぐ、対位法の応用についてアイディアが浮かんだ。

 ベルリオーズの対位法嫌い、というかバッハ嫌いは有名だが、サン=サーンスによるとベルリオーズはバッハの主要な作品を知らなかったらしい。2声のインベンションしか知らなければ、バッハの真価に気づくのは難しいかも知れない。実際には2声のインベンションはバッハの最高傑作と言っても過言ではないほどの内容を持っているが、それに気づくにはバッハの他の作品群に触れていなければ難しいことだろう。
 第一、現代のように音楽情報が溢れていたわけではないから、乏しい情報だけで全ての天才を発見して行くことはますます困難であったことだろう。
 作曲家と演奏家という職業が分離していなかった時代には同時代の音楽だけが演奏されることになる。そんな中で過去の作曲家について知ることが難しいことは容易に想像できる。しかし、情報が多くとも本当に優れた才能に気づけなければ情報量は意味がない。
 対位法は音楽の起源とともに誕生したと考えられるが、私たちが学ぶにあたって必要、かつ妥当である作曲家の最古参はジョスカン・デ・プレだろう。この段階で、すでに自分自身が到達できるとは思えない世界だ。パレストリーナまで行くと、もう最初から無理という感じ。しかし、世の中の多くの人は、それすら感じたことがないくらい彼らの対位法と疎遠なのではないだろうか。そうであるならば、まずは聴くことが必要だ。
 線的対位法から和声対位法に移ってからも状況は同じで、誰の真似もできそうにない。モーツァルトのジュピター終楽章にある対位法5層構造を見せつけられると、対位法が主たる技法ではなかった時代でも、対位法のレベルの高さを思い知らされる。その最大の原因はこちらの能力不足だが、それ以外にも対位法が実は極めて個人的な技法であるということはないだろうか。つまり、対位法はある程度学んだら、以後は自ら創出すべきものなのではないか、ということが今朝浮かんだ考えの発端だった。
 明日はウラノメトリア編集会議なので、今日はここまで。