1月24日(月)

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 カミさんの熱が高くなったので、インフルエンザの可能性も考えてカミさんとモリアキ翁が同室することがないような態勢、仮に「レベル2」(数字が大きくなるほど重大な事態を表す)で生活することに。
 結局、カミさんがインフルエンザに感染しているかどうかはまだ分からず、この数日は感染しているものとしてレベル2のスケジュールを続けることに。
 カミさんのかかりつけ医とモリアキ翁のクリニックは全く別の場所にあるので、この2人を午前11時30分の午前の受付時間内にそれぞれ診察を受けさせることが最初のハードルだった。月曜日は混みあうことが多いからだ。しかし、今日は比較的空いており、カミさんを帰宅させたのが11時頃。すぐにモリアキ翁をクルマに乗せて(カミさんの送迎時には後部座席を使い、モリアキ翁の時は助手席というように、接触感染にも配慮してみた)、受付終了前に到着することができた。
 モリアキ翁の血圧が少々高く、今日は主治医から食品塩分早見表を渡されて、モリアキ翁の塩分摂取量を理想としては6g/day、最低でも8g/dayに抑えるようにという指示を頂いた。
 食パン(6枚切り)1枚でも0.9gの塩分が含まれており、1食2gで済ませるということは非常にハードルが高いと感じた。食品成分表示が塩分ではなく、ナトリウムで表示されている時には2.54倍で計算する。
 市販のレディ・ミールには1食あたり塩分1.7gというものもあり、工夫しだいではできないこともないのだろうが、毎食塩分量をクリアしていくのは難しそうだ。しばらくはネット上の「減塩レシピ」サイトのお世話になることだろう。ありがたい時代だ。

 話題は変わるが、福岡伸一さんの「生物と無生物の間」の中に、次のような一文がある。

以下引用。

 訓練を積んだ医者は、胸部X線写真を眺めただけで、そこにわずかな結核の手がかりやあるいは早期ガンを疑うに足る陰影を認めることができる。私たちが同じものを手にしても、そこにはぼんやりとした雲や霞のような白い広がりが見えるだけだ。
 実は、医者がX線写真をライトにかざすとき、彼が診ているものは、胸の映像というよりはむしろ彼らの心の内にあらかじめ用意されている「理論」なのである。

引用終わり。

 音楽も全く同じで、作曲家や指揮者がオーケストラを聴いた時も、そのスコアを見た時も作曲家の耳はメロディーラインを追っているわけではない。和声構造や楽式構造、あるいは細胞音形や分解された部分動機を追っている(言葉にはしにくいのだけれど、インスピレーションの源を追っているのかも知れない)。
 作曲工房で行っているレッスンは、突き詰めれば全てが耳の訓練であると言えるだろう。音楽を聴くも訓練が必要なのだ。聴き方が分からない人に望むような演奏ができるわけがない。
 その“聴く技術”に長けていたのがモーツァルトベートーヴェンだろう。音楽史に名を残す作曲家は、ほぼ間違いなく聴く技術に長けていたけれども、この2人は別格だ。モーツァルトベートーヴェンから学べるのは、彼ら自身の音楽だけではなく、彼ら以前の作曲家が何を大事であると考えていたかということだったりする。
 自分の耳が大作曲家のそれに少しでも近づくと、どんどん音楽の世界が広く深くなっていくことを実感し、喜びの反面、その奥深さに畏怖したりもするのだ。