3月17日(木)ますます厳しい福島原発

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 警察庁機動隊の放水車による決死隊には、おそらく多くの国民がその活躍に期待していたと思うが、放水距離が足りず成功しなかった。決死の覚悟だった隊員の皆さんの心中は察するに余りある。うまくいかなくともみんなあなたがたに感謝している。間違いなく感謝している。
 自衛隊のヘリコプターによる海水の落水はある程度成功した模様。
 米軍は、米兵に対して福島原発から80km以内への接近を禁止する命令を出した。日本政府は20km県外に、いまだ多数の住民を留め置いている。80km圏外に全員を避難させるのは非現実的にも思えるが、国民の健康被害を考えればやらなければならない措置だろう。
 しばしば登場する「ただちに健康に影響のでる放射線強度ではない」という言葉は、長く被爆すると、いずれ放射線傷害が発生するという意味だ。心配でならない。
 ずっと暮らすことを考えると、福島原発を中心とした200km(根拠はなく、感覚的なもの。いずれ誰かが正確な数値を出すと思われる)圏内は無人地帯とすべきではないだろうか。ましてや、再臨界による核爆発が起これば、本州東側はどこにも住めなくなるかも知れない。

 今日は作曲工房周辺が計画停電開始後、初めて停電した。停電開始してほどなく長男の“風”が帰宅。月明かりの明るさに感激したと話していた。
 高輝度LED照明でダイニングを照らすと、照明範囲は狭いものの食事には全く困らなかった。単3電池3本でこれだけの明るさを確保できる時代が来たのだ。作曲工房は各部屋、階段の踊り場など要所要所に常日頃から携帯できる照明を配置してある。要するに臆病で怖がりなのだ。お気に入りはヘッドライト。視線の先が常に照らされるので、暗闇でもピアノが弾ける。このLEDも高輝度・高照度で、消費電力はわずか0.5wしかない。手動で発電してキャパシタに蓄電(コンデンサなので充電というよりは蓄電)しながら照らすLEDライトも楽しい。

 停電してしまって寒いので布団に入ってラジオを聴いていたら、サンプラザ中野(くん)さんが出演していて、久しぶりに「ランナー」を聴いた。いともたやすく遠いkeyへ転調するところなど、四半世紀を経て、なお新しい。彼も震災前から穀類を備蓄していると話していた。海外の先物取引の価格を知って、それが何を意味するかを即座に理解したに違いない。
 すると、ラジオから緊急地震速報が。暗闇だとかなり慌てる。飛び起きて、襖一枚隔てただけの隣の父のところへ行くと、モリアキ翁は悠然とライトで周囲を照らして「地震が多いなあ」とのたまった。

 今日、近所の大型スーパーでようやく牛乳を手に入れた。商品も増えてきた印象。しかし、我が家はもうしばらく震災以前に備蓄した食料でがんばり、流通に掛ける負荷を減らしたい。