5月24日(火)

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 今日は作曲がはかどった。


 大抵の乗り物には最高速度と巡行速度がある。最高速度は、それを維持できない速さであり、巡行速度は燃料があれば維持できる速さのことだ。
 半世紀も生きていると、いろいろな夢を持つ人たちに出会うものだ。ドラマ(脚本)を書きたい人、小説を書きたい人、画家になりたい人、ゲームデザイナーになりたい人など、要するにクリエイターを目指す人たちだ。
 夢を叶えて現実とした人たちは「最高速度」が出せた人たちなのだと思う。才能があっても夢のまま終わってしまった人は、創造が日常の延長線上にあると考えていたのかも知れない。訓練していけば上昇するカーブに沿って上達していくというような。
 実際には連続的な上達のほうが稀かも知れない。電子の軌道のK殻、L殻、M殻のように進歩は飛び飛びの値をとるものだ。「歩く」の次は走るではなくて「自転車に乗る」。そしてその次はクルマに乗る、次は飛行機、ロケットというようなものだ。
 8000メートル級の高山の登頂を目指すとしよう。私自身は目指したことがないので、登山家の方の講演や書物、あるいは登山の技術書のようなものからの知見ではあるけれど、5000m以下の登山とそれ以上(実際には高さだけでは比較できないけれど)では、根本的に異なる世界と認識しなければならない。平地で過ごしていた人が、急に登山をして酸素のアシストを必要としないのは3000m級、つまり富士山くらいと言われている。それを超えると馴化(じゅんか)のために、低酸素の環境にしばらく身を置かなければならない。無酸素で高山を目指す場合には、さらに酸素不足にならないような登山技術も必要になる。ラインホルト・メスナーという登山家は8000m級の14峰の無酸素登山を成功させているが、彼には特別な体質もあったかも知れない。岩壁を登る時には、体力のほかにパズルのような難しさが伴う。たとえばザイルの留置の問題だ。ザイルをハーケンから回収してしまうと、そのコースからは2度と下山できなくなってしまうことがある。しかし、持っていけるザイルには限りがあるので、綿密に考えて行動しなければならない。しかも、酸素不足で脳の働きは鈍っている。そんな状況でも“うっかり”しただけで命取りとなる。
 深深度のスキューバも同じ。ヘリウム混合ガスを吸いながら、煩雑な手順を踏んで、しかも短時間だけ潜水が可能になる。手順をひとつ間違えただけで、こちらも命取りとなることがある。
 SR71という高速の偵察機を作り上げたロッキードの開発チーム「スカンク・ワークス」も、まさに最高速度で働いた男たちの物語だが、長くなるのでそれはまたの機会に。初代のチーフであった(ボスと言ったほうが似合う)ケリー・ジョンソンという名前は記憶しておく価値がある。

 
 とにかく、今日は朝からインスピレーションがやってきていた。ひととおり書きかけの楽譜に目を通してから、はやる気持ちを抑えて素粒子物理学の本を持ちだして、フェルミオンの第1世代から第3世代までを暗記した。まだ覚えているはず。
 第1世代のクォークはアップとダウン。レプトン(電子などの軽い粒子)は電子と電子ニュートリノ
 第2世代はチャームとストレンジ。そしてミューオンとミュー・ニュートリノ
 第3世代はトップとボトム。そしタウオンとタウ・ニュートリノ
 以上が物質を構成する「フェルミオン」。
 力を伝達する「ボソン(ボーズ粒子)」はフォトン(光子)、グルーオン、Zボソン、Wボソン。ちなみに、ボソンはパウリの排他律(排他原理とも)に従わない。つまり、同じ空間にいくつでも詰め込むことができる。
 これがノーベル賞を受賞した「小林-益川理論」が予言したモデル(全て存在を確認済み)。
 理論上、存在が予言されているのに、まだ見つかっていないのはヒグス粒子(物質に質量を与える)やグラヴィトン(重力を伝える)など。発見のニュースがあれば、その意義はある程度分かるかも知れない。
 なぜ、こんなことを覚えるのかというと、これらひとつひとつの発見の経緯が、存在の予言者、および発見者の“最高速度”によるものだからだ。それに、素粒子物理学者と出会った時、話を聞くことができるではないか。こちらに基礎知識がなければ、説明するだけで週一回の講義で何ヵ月もかかることだろう。
 そして、少しだけ楽譜を書く。どんどん書けるのだけれど、それは書ける楽譜を書いているに過ぎない。私は、まだ書けないような楽譜を書きたいのだ。
 次にバッハの本を読む。バッハの先祖もずっと作曲家だったけれど、作曲家の地位は低く、作曲するのは才能以前の問題があった。
 それをバッハの先祖は、道化師までやりながらひとつひとつクリアしていく。強烈なインスピレーションで、道を拓き、ついにバッハ一族は大量の優れた音楽家を生みだす家系となった。本来、音楽の力だけでは作曲家にはなれないのだ。作曲するとき、バッハは聖書に手を置いて神に祈る。


「神よ、わたくしに力をお与えください」


 神が存在するかどうかは問題ではないが、とにかくバッハは神がかって作曲したに違いない。


 バッハの真似をして神に祈ってから楽譜を書いてみる。でも、神頼みしなくとも今日は快調だからいくらでも書けてしまう。これはよくない兆候だ。いつもなら書けないような、さきほどの例でいうならK殻からいきなりL殻へ移動するような楽譜が書きたいのだ。今日ならできる気がしている。
 ここで昼食。モリアキ翁には塩分コントロールされた「レディ・ミール」。今日は1.7gの食塩で一食を済ませた。これで血圧の上昇を少しは抑えられるかも。食後にはオレンジ。朝食後はスイカだったけれど、どちらも美味しかった。モリアキ翁完食。

「うまかったよ」


 昼食後は“たろ”に促されて、彼女の推薦動画をいくつか見た。今日はアマチュア作品はなく、全てプロフェッショナルのもの。


「アマチュアの人たちの中には、レベルの高い作品を見てない人がいるよね」


 生意気なことを言ってくれるじゃないか。正確に言うと、レベルの高い作品を見分けられるまで至っていないだけで、すぐれた人ならば、いずれ到達する。
 コーヒーブレイク後は、仏教の本を読んだ。仏教には教義があるようでないようだが、「四締」と「八正道」は、仏教の行者が最高速度の時に到達した考え方だろう。この境地に至れば、もう作曲などしなくても済むに違いない。
 
 かくして、神と仏と益川・小林先生、ケリー・ジョンソン、ラインホルト・メスナーの力を借りて(たぶん、冗談ではなく)、かつて世界に存在しなかった(はずの)音楽がPCのノーテーションソフト上に次々と現れた。


 ところが、ここで時間切れだ。夕食の支度をしなけれなばならない。今日は定期レッスンがないから時間的な余裕はある。
 パントリーと野菜庫を見渡して、クリームシチューを作りたくなった。かなり久しぶりだ。しかし、このあたりは割愛。仕事から帰宅したカミさんに「おいし〜!」と言われて(お世辞半分)、またまたインスピレーションが。
 PCの前に戻って、この曲に足りないのは源氏物語だと思ったが、読み返すのはやめた。止まらなくなるに決まっている。

 昨日は「フルートとピアノのための“2つのムード”」をほぼ書き上げた。今日は「フルートとファゴット、ピアノのための三重奏曲」の第3楽章と「ファゴットとピアノのためのソナタ」の第3、第5楽章の一部が進んだ。

 音楽的8000mに到達した時、幸い天候が味方してくれたし、110mの深海でも全ての手順を間違えずに済んだ。なにより、全速力で走ったのに疲れなかった(この反動は明日にやってくるに違いない)。
 たまにはこういう日もなければ辛すぎるというものだ。


 では、お休みなさい(たぶん今夜は眠れない)。

 ああ、そうだ。絵里子さんから送られてきた楽譜ファイルの添削をしなければならなかったことを今、思い出した。とても素晴らしい曲で、今日のインスピレーションのきっかけもこの曲にあったかも知れない。明日には必ず。


バズビー博士:福島原発メルトダウンで最悪の放射能汚染地帯に! 5/17


事実を国民に知らせるのは、政府の義務である。