5月25日(水)はやぶさ

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 今日は巡行速度にも至らぬ一日。
 昨夜(今朝)は3時過ぎに就寝、5時台に目が覚めた。後で気象庁のサイトを見て、その時刻ころに地震があったことを知った。
 というわけで、海原にただよう小舟状態だった。「バッハ」を読んでもただ文字を読んでいるだけで、昨日のように登場人物の姿が明瞭に浮かび上がるというようなことはなかった。
 楽譜が書けるわけではないし、好の機会と考え、大宮のワーナー・マイカル・シネマズで「はやぶさ」を観てきた。
 これは、もともとは劇場公開用映画ではなくて、プラネタリウムで上映する科学啓蒙映画(全天周スクリーンサイズ)を普通のシネスコサイズに変更したもの。だから鑑賞料金は500円。
 私はフレッド・ホイル信者なので「パンスペルミア説」を支持している(映画にパンスペルミア説は出てこないので念のため)。
 パンスペルミア説というのは、生命は宇宙に溢れている(天文学的な意味で)けれど、生命の発生は非常に稀であり(もしかしたら1種類か?)、その生命の種が彗星によって宇宙全体に運ばれ、生命の生存可能な惑星で繁栄するというもの。
 なぜそのような仮説が出てくるのかをもう少し詳しく説明すると次のようになる。
 宇宙が誕生して最初に形成された恒星は大部分が水素・ヘリウムで、わずかにリチウム・ベリリウムなどの軽い元素が混ざった程度で成り立っていたと考えられている。つまり、宇宙の元素はそれしかなかったからだ。恒星内部の核融合反応によって、もう少し重い元素元素(鉄までくらい)も作られるが、それでも生命を生みだすことはできない。
 質量の大きな恒星が末期を迎えると超新星爆発を起こす。この時に初めて重元素が生じる。我々に必須のコバラミンビタミンB12)は、数ある必須ビタミンの中で唯一ミネラル(コバルト)を含んでおり、これは、その昔我々が星として輝いていた証拠のひとつ。宇宙的な時間スケールで言うなら、いつかまた我々は星になる。死んだら夜空の星になるというのは科学的事実と言ってよい。
 ここで、少し戻るけれども、超新星爆発の残骸が宇宙空間に飛散して再びほかの場所で集まった時、新生代の恒星が生まれることになる、その恒星系には生命を維持するのに必要な元素が揃っている(種族 I の恒星と呼ぶ)。超新星の残骸は中心の原始太陽の周囲を円板状に取り囲み、衝突が繰り返されて惑星が形成される。水星・金星・地球・火星のような岩石型の惑星は、小さなかけらが衝突・合体してできたと考えられているので、原始惑星時代には表面全体が溶岩のように灼熱状態であったと考えられる。よって、地球は無生物で始まった。木星土星はガス型の惑星、天王星海王星は氷の惑星である。
 そんな宇宙の初期の終わり頃(いつだか分からないけれども)には、どこかで生命の発生条件が揃うような場が生じた。これは非常に稀なことで、今では新しいシステムの生命発生は起こっていないかもしれない。その後、なんらかの事情で細かく分裂して生命の“種”のキャリアとなった彗星が、宇宙の放浪を始めた。カビの胞子や雑草の種にも似ている。成育条件にあう環境のところで発芽し、繁殖する。
 地球の生命の発生は思いのほか早く、地球誕生から数億年の地層で真正細菌の化石がみつかっている。これは、地球で生命が誕生すると考えるよりも、生命そのものが地球外からやってきたと考えるほうが合理的というのが「パンスペルミア説」。
 はやぶさが目的地として向かった「小惑星イトカワ」は表面がドロドロに融けて灼熱状態になったことがないので、太陽系形成初期の痕跡を残していると考えられる。それを知るためにイトカワのサンプルリターンが「はやぶさ」最大の使命だった。
 「はやぶさ」は、イトカワ表面における「尻もち事故」、姿勢を制御する3つのリアクション・ホイールのうち2つが故障、おまけに化学ロケット燃料を失い、イオンエンジンも4基全てがダウンして、宇宙の迷子となってしまう。長野県臼田の巨大なパラボラアンテナがはやぶさの信号を捉えたのは通信途絶から1ヵ月半後だった。
 自律型ロボットでもある「はやぶさ」は、地球からのアドヴァイスによく従って動き、ついに昨年地球に戻ってきた。イトカワに着陸したとき、はやぶさは地球から約3億キロメートル(地球太陽間の2倍)も離れていた。当初の計画よりも何年も遅れてはやぶさは地球に戻ってきた。チーフの川口淳一郎さんが、地球帰還直前の「はやぶさ」を振り替えさせて、はやぶさの目であるカメラに地球を撮影させた。しかし、その画像を地球に送信している途中で、はやぶさはオーストラリア上空で燃え尽きてしまったのだった。