6月1日(水)

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 今日から日本橋高島屋で始まった、日本の気鋭の画家31人による「ジパング展」は面白そうだ。
 日本の美術界は新しい才能が次々に現れてきている。

 『ジパング展 −31人の気鋭作家が切り拓く、現代日本のアートシーン。』

 高島屋3店で「ジパング展」巡回

 平塚美術館の「二十歳の原点」展にも出品されていた会田誠山口晃をはじめ、束芋など31人。
 束芋を初めて見た時はすごいと思った。彼女は、今年ベネツィアビエンナーレの日本代表に選ばれている。高い技術とインスピレーションの両者に恵まれている。束芋という筆名は、たしか田端家の三姉妹の次女であることに由来していたはずだ。姉は「たばあね」、次女は「たばいも」、三女は「いもいも」。友人たちから、そのように呼ばれているうちに「束芋」になった。絵と同じで一度聞いたら忘れない名前だ。
 もし「ファゴットソナタ」全曲の脱稿が間に合えば、ぜひ行きたい。
 美術界の活況に対して、音楽界は少々残念な状況だ。
 一般論として語るならば、現代音楽の演奏会自体は少なくない。しかし、それは自分たちで開いた「作曲個展」であったり、作曲グループ展であったりして、聴衆は身内が中心。ほぼ同人活動に準ずる位置づけと言ってもよいだろう。
 自分自身を棚に上げて、こんなことを書いているけれど、私も精進あるのみだ。

 今日は「Trio for Flute, Fagotto and Piano」(全2楽章)のスコアとパート譜の浄書を終えて、演奏してくださる皆さんに送った。まだまだ先のことだろうけれど、リハーサルが待ち遠しい。
 「Sonata for Fagotto and Piano」の懸案であった第5楽章も作業が進み、脱稿まであと一歩というところ。作業は至福の時だった。作曲(今回はトランスクリプションだけれど)している時に「至福」というのは滅多にないことだ。

 考えさせられるニュースがあった。非番の日に、たまたま交通事故を目撃した救急救命士の消防隊員が「勤務外で救命措置を行なった」という理由で停職6ヵ月の懲戒処分、その後、この救命士は退職している。つまり、自分の身が可愛ければ、他人は見殺しという服務規定ということだ。下の記事からは窺い知れない事情もあるのだろうが、釈然としない。

勤務外で救命処置 停職6か月

 北海道占冠の鉄道トンネル火災事故も同様だ。煙が充満して炎が目視できないという現場の報告を受けて、現場を知らない誰かによってそれは火災ではないと判断され、実際には燃えている車両から乗客を避難させることを管制室は禁じた。車掌は危険を感じて「避難させたい」と具申したが、現場を知らない管制側は炎が見えないのなら火災ではないとの判断を変えなかった。
 結局、猛烈な煙に耐えられなくなった乗客が自らの判断で避難したために全員が助かったが、煙を吸い込んで入院しなければならない乗客も数十人にのぼった。
 日本では、現場の判断を最優先するという土壌ができあがっていない。それは、社員研修など(それ以前の学校教育でも)で判断力を育てることができないことを端的に表している。
 
 企業や組織内の昇進は「判断力」で決めるべきで、年齢でも根回しの巧みさでもない。判断力は事実の正しい把握によってのみ育つ。
 私たちはテストの解答用紙に対して(つまり、人間が用意した答えを)答えるのではなく、自らの疑問に答えなければならない。