7月21日(木)

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 台風第6号マーゴン(201106)は、四国と紀伊半島に2度ほど接触しただけで進路を太平洋沖に向かった。今日の東京の最高気温は23.6度で、5月下旬なみの気温。涼しくて快適だった。

 相変わらずアイディアが音に変わらないので、こういう時には読書が一番。いまだに最も必要な情報はウェブ上では得られない。情報はタダではないのだ。だからと言って、対価を支払えば情報にたどりつけるわけでもない。
 仮に今までの人生で私と同年代の人が、みな横並びで1000冊の書物を精読したとしよう。本当に必要な書物を1000冊読んだ人と、ハズレてしまった人との間には大きなギャップが生まれていることだろう。
 ここで言う優れた書物とは「著者が事実を読み取ることができ、情報を濃縮して本質を語っている」ものであり、ハズレの書物は「著者に先入観や誤謬があり、おまけに情報を濃縮する過程で不純物が混じってしまう」ものを指す。
 そして読書する側は「記述中の矛盾を検証しながら読み進むことができ、かつ濃縮された事実を再構成して物事の枠組みを読み取る力」がなければならない。
 (天動説の時代に生きているとして)毎日空を見上げて太陽や月、星の動き(これが事実)を眺めているが、視点を地上から太陽系を見下ろす位置に移動させることは至難の業だろう。しかし、アリスタルコスやコペルニクスケプラーは、その事実を徐々に濃縮していって視点を宇宙に移した。読者は、そこから地動説の枠組みを理解しなければ、事実の濃縮も役に立たない。
 と、偉そうなことを書いたが、実際には著者と同じところに視点を持っていくのは難しい。著者と同じところまで理解するには執筆した著者と同じくらいの執念が必要だ。

 ずっと昔読んだ「マイケルソンとモーリーの光速度の測定実験」では、異なる方向からやってくる光の干渉縞が発見できず(つまりどの方向からやってくる光も検出できないほど同じ速度を示したので)、実験はますます精密化していった。そして最終的には実験の継続を断念するのだが、アインシュタインは実験結果のほうを事実として捉え、光速度を一定とした。つまり、相対論の基本的な枠組みを捉えたわけだ。

 今日、1997年3月に発生した、いわゆる「東電OL殺人事件」の容疑者がDNA鑑定の結果、冤罪である可能性が高いことを東京高検が発表した。この事件はいろいろと人々の興味を引く事件であったので、多くのドキュメンタリー、ノンフィクション、事件を基にしたフィクションが書かれ、私もいくつか読む機会があった。ジャーナリストでノンフィクション作家の佐野眞一さんは、当時千葉県に勤務していた容疑者がタイムカードを押して退勤してから、事件発生時刻までに事件現場に到着することが不可能であることを何度も実際に検証して冤罪である可能性が高いことを指摘しておられた。容疑者を犯人であると判断した検事と裁判官には事実を読み解く力がなかったことになる。(容疑者は一貫して犯行を否認してきた)
 
 さて、私がいま何を読んでいるかは公開する気はないが、正直言ってまだまだ読み解けないことばかりだ。ここで諦めたら私には「縁がなかった」ことになる。本当に理解したいと思ったらしつこく考え続けるだけだ。この場合の「考える」も正解への道筋をたどることであって、うんうんと唸ることではない。


ガイガーカウンターやシンチレーション検出器が欲しいけれど、まずは正しい使用法を知らないと宝の持ち腐れになるということを解らせてくれる優れた記事。

放射線の正しい測り方(鈴木みそによるマンガ)

パラリンピック陸上400mのピストリウス選手(両脚とも義足)が、オリンピックなどの参加標準記録をマークし、健常者に混じって世界陸上に参加資格を得たというニュース。思わず泣きそうになってしまった。快挙だ。すばらしい。単純なので、私も負けないぞ、などと思ってしまう。

両脚義足のピストリウス選手が世界陸上に出場へ