8月15日(月)

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 お盆本番。朝一番で “たろ” との用事を済ませ、カミさんの実家までクルマを飛ばす(うそ。怖くてノロノロとしか走れない)。往路はモーツァルト交響曲全集からランダムに、帰路はジャズトロニックの「七色」を聴きながら走った。
 カミさんの父親の仏壇に線香を供え、手を合わせる。義理の父親が亡くなった日(1998年7月)、ちょうど私は本番当日で、2時間のステージを一人で勤め上げなければならなかった。まだ多少元気もあり、ピアノもガンガン弾いていたので自作品を20曲以上弾いたのではなかったか。それも「エリダヌス」「魚座」とか「樫」とか「Morning Air」とか「紫陽花」、「萩」などのシリーズものばかりを選んだプログラムだった。

 カミさんの実家を早々に辞して、知人の病室を見舞い、泉に立ち寄って水汲みをして、昼食やお客さまを迎えるための茶菓子を買ったりしてから帰宅。昼食後まもなく、姉夫婦や叔父などが来宅してにぎやかになった。
 モリアキ翁は今日も絶好調。自分が出ている新聞や広報誌の記事を並べてご機嫌だった。これなら93歳までは確実に元気でいられるかも知れない。
 今日来宅した叔父は、小さな子ども時代の私にとって唯一の音楽的環境と言える存在である人物だった。彼は幼稚園児の私に「ペルシャの市場にて」を聴かせてくれたのだ。それがどのような影響だったのかは評価のしようがないものの、50年前はクラシック音楽を聴く機会はデパートの店内放送くらいしかなかったのだ。それもよく行った西武デパートは流れておらず、日本橋三越など、限られた店舗とフロアだった。
 大学時代、叔父が遊びにきた時、何か弾いてほしいとリクエストされて、ピアノに向かえば新しい曲が生まれるような年頃だったのに、なぜか自作曲ではなくラヴェルの「クープランの墓」からいくつかの楽章(プレリュード、フォルラーヌ、リゴドンか?)を選んで弾いた。しかし、その選曲が功を奏して叔父はとても喜んでくれた。
 今日はフルートソナタを聴いてもらった。叔父は一度で気に入ってくれて「この演奏会(11月19日の)には必ず行かせてもらうよ」と言ってくれた。その言葉から、お世辞でも身びいきでもないと分かった。叔父は本当に気に入ってくれたのだ。
 
 ところで、アンリ・トマジの「12のコルシカの歌」(廃盤、あるいは目的の盤はCD化すらされていないかも知れない)と、バルビローリがハレ管を振ったチャイコフスキーの「悲愴」(少なくとも国内版は廃盤)が手に入ったので、今日は、もうそればかり聴いている。12のコルシカの歌は、私が聴いていた演奏とは異なる盤なのだけれど、こういう曲を廃盤にするというだけでレコード会社が傾く理由の一端を見る思いがする。
 売れないものは廃盤にというやり方が経済原則に則っているとはとても思えない。はやり歌の場合はあり得るとしても、クラシック音楽の場合は良いものを蓄積していく努力をすべきだろう。



小出裕章助教による沖縄講演の一部。彼の凄いところは講演のたびに切り口を変えられるところだろう。それから、沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した事件は「放射能事故」だったことを初めて知った。

8月13日(7年前米軍ヘリ墜落の日) 小出裕章氏の沖縄での講演会