8月22日(日)

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 作曲工房の夏休み(定期レッスンが休みになって作曲に没頭できる日々)は今日で終わり。ウラノメトリア2βは、予定した作業の半分も進まなかった。過去最高の曲集を目指したから、などというのは言い訳にならない。経験を積んだ分だけ前より良くなるのは当たり前だからだ(本当は、インスピレーションは、そんなに単純なものではない)。
 今日の午前中は家の中の整理に費やし、午後からカミさんと買い物に出かけた。
 それで、今日はインドネシア料理が食べたいという。そう、我々は昼食前だったのだ。

「え、(今月は「12のコルシカの歌」とか買っちゃったし)・・・・」と言葉に詰まったものの、一緒に仲良く(?)大皿に盛られた料理を食べた。
 インドネシア料理は、タイ料理やベトナム料理のような強い個性はないが、そのぶん誰もが食べやすいと思う。数は多くないが、今まで行ったインドネシア料理の店は、店員も客もインドネシア人が多かった。

 そう言えば、カミさんが私に弟子入りすることになったのを書き忘れていた。彼女の今年の誕生日にiPodを強制的に(?)プレゼントさせられて、そこに地球に生まれたからには聴いておくべき曲(理解できるようになるべき曲)を順を追ってインストールして、死ぬ直前に気づいてに後悔しないようにしようという目論みである。
 土曜日もクルマの中でFMのクラシック番組を聴きながら「どうしてこんな曲選ぶのよ!もっと演奏すべき曲があるはずじゃない」と毒づいていた。
 それは実は正論で、現代の作曲家や演奏家たちに課された重い宿題である。
 バロック時代には、ルネッサンスの音楽よりも今(バロック時代)の音楽のほうがよいと人々は思っていたことだろう。古典派の時代もバロック時代よりいいと思っていたに違いない。ロマン派の時代になればなおさらだ。
 ところが現代はどうだろうか。クラシック音楽以外の世界では「今」を楽しんでいることだろうが、あたかも作曲家が落ちぶれた印象がある。ガンバラにゃあならん。
 本当は、いつの時代も「現代はハズレばかり」だったはずなのだ。
 “たろ”説によると、ジャンルにかかわらず古い作品は選ばれて残ったものばかりだからだという。しかし、クリエイターたちは、過去に飽き足らず革新を目指してきた。かくして同時代人たちはそれらを消化しなければならなかったが、大部分は過去を超えられず消え去った。というわけだ。
 しかし、現代は批評すら拒むような作品が未だに書かれていたりするからびっくりだ。
 少し考えれば分かると思うが、音の運動力学的に重力方向がはっきりしている調性音楽と、無重力状態の無調音楽ともに名曲を書くのは同じくらい難しい。
 同じ無調でも「12音技法」ならば、少しレッスンすれば小学生でも交響曲のスコアを書き上げることができるだろう(名曲が書けるとは言っていない)。ところが、基礎的な和声学と対位法のルールを守って、つまり、聴衆に」「この曲はヘボだ」と思われないように交響曲のスコアを仕上げるのは並大抵のことではない。最近は少なくなったけれども、図形譜やチャンスオペレーションを真似るのはもっと簡単だ。そして批評しない聴衆が揃えば、たちまち「悪貨は良貨を駆逐する」(正確には、良貨が埋もれてしまう)というわけだ。

 とりあえず、カミさんのiPodにはパッヘルベルf mollシャコンヌヒンデミットの「6つの歌」、ディーリアスの「春一番カッコウを聞いて」を入れてある。
 3年後くらいには、一緒にエネスクの話で盛り上がれるようになるだろうか。


>食品の製造所を表す固有記号が検索できるサイト。小さなお子さんがいる家庭では役立つはず。逆に、私のように50歳を過ぎたら福島の工場を食べたり飲んだりして応援してもよいと思う。

製造所固有記号@ウィキ