10月4日(火)

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 ウラノメトリア2βの曲順がほぼ決まった。明日は運指を徹底的に洗い直さなければならない。
 運指はピアノテクニックの中でも重要度が高い。鍵盤楽器が発明されてから運指は人類の遺産として脈々と伝えられてきたが、ピアノになってから、かなり大幅に書き改められることになった。“巨匠の運指”とでも呼べばいいのだろうか。テンポが遅い時には弾きやすくは思えないのに、テンポが上がると俄然使い勝手がよくなる運指がそれだ。
 ピアニスティックな音並びと運指が合致すれば、音符が少なくて一見 “易しい曲” に見えるエチュードよりもずっと弾きやすく、かつ魅力的なものになる。子どもたちもレスナーも、易しい曲を求めているのではなく、弾ける曲を求めているはずだ。
 ウラノメトリア2βには1972年、17歳の時に書いた曲を収録した。当時には戻れないので、ほとんど手を加えずにそのまま載せたが、ピアニスティックであることがどのようなことかを理解していない頃の曲なので、各声部の流れに淀みがある。その淀みを解消したかったけれど、それには大元の発想を変えなければならないことが分かって諦めた。ピアニスティックであるということは、発想の段階からそうでなければならないのかも知れないと、直感だけれど思った。ということは、それを理解していない作曲家は、耳だけではなく、指にとっても魅力的な曲は書けない可能性がある。
 何度も書いていることだけれど、幻想即興曲は決して易しくはないが、しかしとても易しい。指の作りとピアノ鍵盤の機能との摺り合わせがよくできていて、無理がない。ショパンエチュードには、そういう曲がいくつもある(そういう曲ばかりと言ってもよいのかも知れない)。
 単に難しい曲は、ほとんど誰にでも書ける。しかし、その難しさが音楽的にも指の楽しみとしても報われる曲となると、そう簡単には書けない。作曲家の力が試されるのは、こういうところだろう(何度も試されてしまったが、負けのほうが多い気がする)。
 
 今日の夕食は“たろ”と「さんまごはん」を作った。さんまの塩焼きをほぐして、刻み生姜と大葉を一緒にご飯に混ぜ込んで、煎りゴマを振りかけただけのシンプルなメニューだけれど、これが美味しくてびっくり。ニラ玉の味噌汁ともよく合った。明日は余った生姜を使って、モリアキ翁のための「減塩生姜焼き」に挑戦することになっている。

 では、お休みなさい。