11月13日(日)

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 「楽曲解説」の第2稿をほぼ脱稿。
 昼頃に近所のショッピングセンターまでカミさんと歩いて買い物に。歩いて行くとクルマで来た人たちよりも得したような気分になる。
 往復で5000歩くらい。カミさんには「歩いてわかる生活リズムDS」の総合歩数で11万歩ほど負けていて、その差は開くばかり。だから一緒に歩いても差は縮まないのだが、後でDS本体で生活リズムを確認する時に「リズムを合わせてライトアップ」というイベントでシンクロするのでちょっとうれしい(やっていない人には分からないのでスルーしてください)。
 少し前に「プロフェッショナル〜仕事の流儀」で料理家の栗原はるみさんを取り上げたのだが、今朝、再放送していたので再度視聴。彼女の凄いところは豪華な料理ではなくて日常の料理に特化して研究しているところ。
 彼女がレシピを書く時には「大さじ何分の何」などという表記は使わない。何々を“ふたつまみ”というような書き方だ。炒め鍋や中華鍋を持っていない人もいるかも知れないと、フライパンでも作れるように工夫を凝らす。さらにフリップ(中華鍋を振るうこと)ができない人のために木ベラだけで料理できるようにとも配慮する。
 誰もがおいしい料理を作れるようにという、彼女の執念とも言えるこだわりに感化される思い。
 もし「死ぬ前に何を食べたいか?」と尋ねられたら、ご飯と味噌汁と“ごはんの友”だ。明日世界が終わってしまうとして、どのように一日を過ごしたいかと尋ねられても「ふつうの一日」と答えるだろう。日常が一番だ。ということは、日常が一番と言えるような「日常」を送るからこそ言えることだ。
 彼女は上質な日常を提供しようとしている。
 カミさんが一番望んでいることもそれだ。ところが、片付けても片付けても部屋はすぐに散らかってしまう(カミさん以外は全員片付けベタ)。
「あたしを幸せにしたかったらね、プレゼントもいらないし旅行に連れていってくれなくてもいいから散らかさないで」
 これがカミさんの願い。
 “たろ” は「あたしも分かってるんだけど、できないんだよね」。風も「ごめん、わし駄目」。私もきれいな部屋を実現したいのはヤマヤマながら、ついつい散らかしてしまう。早速、心を入れ替えよう(片付けられる人とそうでない人との間に脳の構造の違いがある、という説もあって壁は高いかも)。


>言語の壁を超えて、発音には普遍的なイメージがあるらしいというブログを読んでいたら「ブーバ / キキ効果」という言葉があった。知らない言語でも男性名と女性名をなんとなく当てられるのも、これと同じことかも知れない。

ブーバ/キキ効果