12月8日(木)

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 新聞の一面に「ヒッグス粒子発見か」の見出し。
 これはびっくりだ。最近ではヒッグス粒子など、そもそも「ない」ということになりつつあったからだ。物質に質量を与える粒子として、もう40年以上も探し続けられてきたが、その存在を否定する研究者も現れていた。詳細は13日に発表される。

 今日は、前田有文子さんと坂本景子さんとミニミニ会談。来年の9月11日に予定されていた第2回コンサートを延期することに。曲も書けていない私としても準備不足は明らか。少なくとも曲が揃ってからでないと不安が残る。フルートソナタの7年は長すぎるにしても、10ヶ月で2曲は厳しいだろう。いつも大言壮語しているように「ちょっといい曲」など書く意味がない。
 「意味がある」とは、作曲も演奏も同じだが、誰かが聴きたいと切望するようなものだ。「聴きたい」と思う人が時代を超えて絶えず存在すれば、その音楽は伝わり続けることになる(それはとても難しいことだ)。そして望む人を多少なりとも幸せにすることができるだろう。
 作曲家にはプロ・アマがいても、作曲という行為と結果にはプロ・アマの区別はなく、人々に望まれるものだけが演奏され聴かれる。今日一日だけでも世界中で何万曲が生まれたことだろうか。しかし、20年後、50年後、100年後にも聴きたいと望まれる曲は1曲でもあるだろうか。後世に伝わることはそれほど稀なことだ。

 22時をかなり過ぎてから、“たろ”がレジ打ちバイトから帰ってきて鍋を作り始めた。23時頃に出来上がったので、一緒に食べさせてもらった。“たろ”は、モリアキ翁を除けば我が家で一番料理をしないのだが、なかなかよい味覚の持ち主で、彼女の手料理は結構いける。今夜もゴボウとキノコがいい味だ。閉店間際に買い物をしてきたので「大根1/2カットは20円だった」そうだ。しかし、好物の鶏肉は300円もしたから「とむりんの食べた分は500円だよ」と言われた。
 “たろ”は20歳になってから、浪人中の学費も画材も自分で働いて工面している。500円よりちょっと多めにカンパしよう。

 そういえば「ガニメデのなんちゃら」の始まりはアシモフの「ガニメデのクリスマス」なのではないだろうか、と思って読み返した。1940年の作品だ。70年も前に書かれたとは驚きだ。ネタバレするからストーリーについては何も書かずにおく。


>明治の粉ミルク「ステップ」の放射性セシウムを検出した「NPO法人TEAM二本松」のホームページ。

TEAM二本松の紹介