12月30日(金)
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NHK-FMで午前中いっぱい放送していた「マーラー」だけの番組はとても良かった。
マーラーが大好きなわけでも真似をしたいわけでもないので、マーラーとガップリと四ツに組む機会がない。だからこそ、こういう機会がなければきちんと聴かないというわけだ。今日はいろいろなことに気づいた。
そもそも音楽を聴くということは非常に大きなエネルギーを使う。音楽だけではない。風景を眺めるのもエネルギーを使う。カレーを食べて全てのスパイスを言い当てようと思ったら大変な思いをするのと同じだ。
だから、マーラーの交響曲にそれだけのエネルギーを注ぎこんだことは、はるか昔に10番の第1楽章を聴きこんだ時だけだと思う。
たとえばボフスラフ・マルティヌーについて生涯や作品についてひととおりのことは言えると思うが、作曲家は音楽おそのもので語られるべきであり、どんなに言葉で語っても本当のことは分からない。どの作曲家についても同じだ。
だから、重要だと思う音楽は徹底的に聴きこむ。聴いて聴いて聴きまくる。1曲を1000回というような単位で聴いたり弾いたりする。それでもまるで足りない。
作曲家は、しばしば「メロディーをひねり出す」というような表現を使うのだが、私は全く賛成できない。稀に、それで名曲が生まれることもあるだろうが、音楽が醸成されてくるのを捕まえるべきだろう。醸成されるためには、作曲家の身体の中に音楽がなければならない。そのためには、曲のなかから“音楽”を聴きとる力を身につけなければならない。そのために集中して音楽を聴く。曲を聴いていたら、うっかり真似をしてしまう可能性もあるので気を付けなければならない。
ドビュッシーは誰のメロディーも聴いていなかった。しかし、音楽を聴いていた。
>明日は大晦日。新年の準備も進んでいる。