3月5日(月)

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 大曲を書く時と小品を書く時には、発想を全くと言ってよいほど変える必要がある。小説で言うならば、長編とショート・ショートを同じインスピレーションで書くことが難しいのと同じ事だ。
 ほんの一例しか挙げることができないが、たとえばプロコフィエフ交響曲第7番第1楽章の第1主題で1ページのピアノ小品を音楽的にまとめることは難しいだろう。それは、メロディーの息が長いからと説明することもできる。
 歴史上の大作曲家たちは何の困難もなくやってのけたかも知れないが、小品と大曲を同時進行することは私にとっては難しい。
 今日はヴァイオリン・ソナタのための「求心力の強い主題」がやってきた。まだ大楽節ひとつ分だけれど、これを飽きるほどくり返し歌い込む。すると、いつか自然に心の中でその主題が成長していく。それをじっと待つ。
 待てずに無理やり書き始めると消化不良のような、あるいは「音楽には聴こえる」ような曲に育ってしまう。
 雪の結晶が美しいのは自然のデザインだからだ。物理的にも全く無理がなく、本来あるべき姿になっているから美しい。ヴァイオリン・ソナタも、そのように育てていきたい。

 今日、新しい「ふとん乾燥機」を購入。今までのものは、なんと30年も使った老兵(やるじゃないか三菱電機)。まだ使えるのだが、絶縁体だって経年劣化するだろうし、高熱を発する機械だけに安全を考えてそろそろお役御免とすることにした。
 新しい乾燥機に、まだ愛称はないけれど「モリアキ翁ぽかぽかプロジェクト」の一環。さっそくモリアキ翁のふとんを温めてみた。明日の朝、何か言うだろうか?
 モリアキ翁は80代終わり頃よりも今のほうが健康な印象(もちろん老化は進んでいるけれど)。その証拠に今朝は「道化師の蝶」批判を語っていた。私はまだ最初の部分しか読んでいないけれど、モリアキ翁が何を批判しているのかはよく分かった。少々実験的な作品と感じさせるところがひっかかったのだろう。
 そうだ。「道化師の蝶」の作者、円城塔さんに敬意を評して「ふとん乾燥機」を「エイブラムス」と命名しようか。