3月21日(水)

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 早起きしてゴミ出しから一日が始まったのに、あっという間に夜になってしまった。
 レッスンとモリアキ翁の定期通院の付き添い、日常の家事と水汲み、そしてグロッサリー類の買い出し。
 モリアキ翁の毎日の早朝血圧が高いので、明日は毎正時に血圧を測定して日周変化を調べてみることになった。モリアキ翁もやる気なので正確な測定(測定間隔の正確さ)が期待できる。
 内科クリニックで受診の順番待ちをしている時に「暮らし上手の朝支度」という、たぶん女性向けのムックを読んだ。生活を楽しむ、あるいは、まさにタイトルどおり上手に暮らすという意味が伝わってくるような内容。ちょっと羨ましかったけれど、自分で実行するのは無理っぽい。残念。
 帰宅すると、哲学者(本人はそのようには名乗っていない)池田晶子さんの「暮らしの哲学」が届いていた。2007年に46歳の若さで亡くなってしまった人だ。まさか、そんなに若くして死ぬとは思っていなかっただろうけれど、著書を読むと充分に生きて考えた人だと感じる。
 それに比べて私はどうだろう。彼女よりも長く生きているのに作品もまだまだ中途半端ではないか。そういえば、今日、いきなり弦楽四重奏曲に使えそうなアイディアが湧いて出た。ひょっとすると他の楽器のソナタに使うことになるかもしれないが、作品として結実する可能性の高いモチーフだと直感した。わくわく。
 で、元に戻る。中途半端なことなどしている暇はない。人生は歎異抄のとおり。少し先のことだって不確かなのだ。今夜はぐっすり眠って(神さま、眠れますように!)、良いコンディションで明日を迎えて、為すべきことを為す。